お祭りとシヴァ神

風呂場でフォーカシング。
風呂場が一番深くフォーカシングしやすい。
ここのところ、不安感でぐらぐらしていたので、フォーカシングしてみた。
第一、昼過ぎにならないと起きられない生活って、精神的なもんだろ!と。
学生で良かったっすよ、ほんと。
でもこの、「寝たら起きられない」というのは、2007年あたりの大爆発治療期(パニック発作一回の後から回復期)にずっと起こっていたことなので、かなりびびっていた。また、何も(仕事が)できない日が来るんじゃないかと・・・。
 
フォーカシングで呼びかけると、神社のようなお祭りを上から見ている感じだった。
そのお祭りの通りには、先週の旅行で会った友人たちが浴衣で歩いている。
赤い提灯が照らされ、的屋の呼び込みの声がする。的屋の後ろは木が茂っている。足元は土のようだ。
私は、赤い提灯のぶら下がる、電線の上に立っている。
気がつくと左手はオープナーちゃん、右手は友人Sとつないでいる。
下を見ると、ああ、友人のYがいるな、と思うと、すべての周りの人間の顔がYになり、Wがいるな、と思うとそこにいる全員がWになる。お祭りなのだなぁと思って見回すと、私がいない状態で、友人たちがちらほら周囲に居る、というような状態になっているのが分かる。的屋で林檎飴を買った友人が、他の友人に「ほら、これおいしいよ〜」などと言っている。
「手に入れたものは、決して失うことはない」という声がする。
お祭りに参加している友人の一人になってみると、私(フジ)はもう、どこかへ行こうとしていて、ここにとどまりはしないのだというのが分かっている。
しかし、私は進むのが怖い。
「本当に手にしたものは、決して失うことはない」とまた同じ声がする。
私は前に進めない。
前を見ると、一つの雲の塊があり、そこから二の腕から下の白い手が伸びていて、私を呼んでいる。
私の両手を取る二人は、私の中で得たものは、もう失うことはない、ということに気づく。
そして、もう、OVERだ、と。
もう、「ここ」は本当に終わったのだ。本当に別れの時だ、と感じ、感謝と寂しさを感じた。涙が出そうだった。
しかし、目の前白い手を取るのはとても恐ろしい。
すると、その白い手の方から「私は未来、私は希望。手を取ったら、変わらずにはいられない、元には戻れない、未知のものだから、怖いのだ」という声がする。
しかし、変わらないままの世界でいるよりも、変わってゆくのが道だ、というのが私には分かっている。
二人の手を離すと、空中に浮いていた二人が、すっと地上に降り、祭りの中に消えていく。
右手で、その白い手を取ると、その手は握ったところから青黒い肌に変わっていき、雲が晴れ、中からヒンドゥー教のシヴァ神が現れた。
シヴァ神は、雲の中から空を指差し「困難も、甘い果実」と言った。その指をさした右手は、指先から白くなり、その指の持ち主はガネーシャ神となった。
私は、左足を下におろした格好で、白い象に乗って進み始めた。この恰好は、普賢菩薩と同じ格好だな、と思っている。
そのまま進むと、宇宙船のようなものの中にいつの間にか入っていた。
そこには、金髪の白人の男性がいて、「やあ、ようこそ新人さん」と私に言った。
 
 
最後のイメージはたぶん、前日に見たスターウォーズ4の影響かなぁ。
最近の恐ろしさは、変化への恐れがあったようす・・・。
うまくいくのも、うまくいかないのも怖がっていたのですよ。
だって、どっちにしろ変わるから/笑。
とはいいつつ、変わらないではいられないんだよな〜。
 
これを見た翌日の朝(今朝)、6時半ぐらいに目が覚めました。
凄い気持ちよく朝を過ごせましたよ。
まあ、怖いものが怖いことには変わりないけど、それを認めるのがすごく大事なんだなぁ、と思いましたです。
いつものことですが〜。