1758年 ジェーン、愛する双子サリー

前世見るのなんてめっちゃ―久しぶり!
前世退行瞑想でもなく、突然見た。
ていうか、どうしてもどうしても、意識のトップから降りてくれない人がいて
なんなの困る!
という状態だった。
そんで、
フォーカシングもしてないなあ、
なんかメッセージあったら教えてくれ、
と自分に聞いたら、突然始まったのだった。
この人と私の関係ってなんだ、と。


私の右に、淡い茶色の長い髪の女の子がいる。
緩い天然パーマの髪が、私の顔に柔らかくかかる。
くすぐったくておかしくて、笑いあう私たちの声がこだまのようだ。
私の髪とその女の子の髪が混ざり合うが、どちらのものとも分からない。
白地に小さな水色の花の散るワンピース、
肩の膨らんだ袖のところに、私は寄りかかる。
そのまま、私は彼女の膝の上に転がる。
笑いあう。
「ジェーン!」
責めるようでありながら、甘い声で私の名を呼ぶ。
右手で彼女の右手のひらを捕まえる。
軽く握り、そのあとは力比べ。
彼女の青いような、茶色いような瞳の色。
頬の下から鼻にかけて薄くちるそばかす。
私の魂の片割れであり、私の天使、サリー。
同じ箱に入っていながら、なぜ彼女はこんなに美しいのだろう、
と私はよく思っていた。
近くで、空に伸びる大樹の葉が、風で重なり歌っているようだ。
草原から、茶色い茎の隙間を縫って風がやってくる。


私たちは、同じ服を、同じ靴を、同じベッドを
そして同じ髪型を、同じ瞳を、すべて同じ容姿を与えられ
同じ日に生まれ、そして共に育ってきた。
腰まで伸びる髪の長ささえ、ほんの少しの違いもなく伸ばしてきたし、
両親も兄も、私たちに同じ愛情を与え、同じように育んだ。
けれども、私はサリーは絶対的に私より美しいと思っていた。
彼女を敬愛していた。
彼女は私の天使だと思っていた。
私の幸せのすべては彼女から与えられているように思っていたし、
彼女のためならすべての幸せを彼女に捧げてもいいとさえ、思っていた。
彼女の中に、特別な輝きが神様から与えられていると、私は確信していた。
彼女が、私が返事をすると確信を持って呼ぶ、愛情のこもった強い声。
「ジェーン!」
その呼びかけが、私にいつも、自分は幸せだと思い起こさせてくれた。


いつものように、さんざん家の中で追いかけっこをしたあと、
(もちろん、二人そろって母親に「なんてお転婆な姫君たちなの!」と怒られたが、それすら楽しかった)
ベッドでサリーに私は
「サリーのためなら、私はいくらでも幸せでありますようにって神様に祈れる。私、サリーの幸せのためなら私の幸せを全部あげてもいいわ」
といった。
私たちは、小さなころから教会に毎週通い、
神様がいるのは当たり前の世界で育っていた。
クリスチャンであったようだ。
サリーは私のその言葉を聞いて、少し大人びた顔をして得意げに笑って見せた。
「神様なんて、見たことないわ」
私はその言葉にびっくりして、目を見開きサリーを見返した。
なんてことを言うの!どういうこと?何を言いたいのかしら、
双子なのに、こんなことを考えられるなんて
サリーはやっぱり特別なんだわ、と短い瞬間で私は思った。
「でも、私、ジェーンなら信じられる。
だから、ジェーンが私の神様でいいわ!」
私はびっくりして、胸が詰まりそうだった。
真っ白な光の中に放り込まれたように感じた。
「サリー」
と名前をつぶやいたきり、どう返したか、覚えていない。


サリーが、濃紺の闇の底に落ちているように見えた。
あの小さな箱の中に。
彼女が、右手を伸ばして私に起こしてもらいたそうにしている。
そのように見えた。
「サリー」
と、何度呼んだだろう。
彼女はダメ、代わりに私を、神様、神様、間違えてます。
彼女じゃないんです、ジェーンは私です。
見た目がそっくりだから、神様間違えたのよ。
ほら、手を伸ばしてる。
蓋をしてはダメ、手を伸ばしてるもの。
花を入れてはダメ、切り花より庭に咲いている姿のほうがきれいだって、サリーは言っていたもの、切ってはかわいそうだって
ダメ、ダメ、いやだ。
サリーが、サリーでなければだめなら、私を代わりに。
私がサリーになるから、私が、私は、ジェーンじゃなくていい。
前がよく見えない、見えない。
「泣いているからよ、もういいのよジェーン、もういいの、もういいのよ」
と、遠くから声がする。
母が、私の腰にしがみついて泣いている。
おかしい。
あの箱の中で、埋められるのは、私であるべきなのに。
ならば、私は、サリー?
もしいなくなるなら、サリーではなく、ジェーンであるべきだもの。


サリーは、病気か何かで亡くなったらしい。
10〜13歳ぐらいだったと思う。
遺体に怪我があるようには見えなかった。
遺体は極端に顔色が悪い状態だった。
ジェーン(私)は、サリ―を失った悲しみで、しばらくは精神的に混乱していたようだった。
自分がジェーンなのか、サリーなのか、わからなくなることは大人になっても時々あった。
いつも左の肩甲骨あたりに、暖かな親しみのこもった、彼女の気配を感じていた。
今にも私の左肩に顎を乗せて、いたずらっぽく私の頬にキスをしそうだった。
「私のジェーン、いつも幸せでいいのよ」
という声が、いつも左耳の奥に響いていた。
不思議なことに、そうしてイメージに上るサリーも、私と一緒にある年齢(20代後半頃)まで、いっしょに育っていった。


私は大人になり、結婚し、娘が生まれた。
普段は、普通に暮らしていたが、時折
「この幸せは、サリーのものだったのに。彼女にこの幸せを返せたら、あげられたらどんなにいいだろう」
「どうして彼女はここにいないの」
と突然思い、急に泣いたりするようなところがあった。
夫や娘は、そういった私に理解を示し、突然号泣したりする私にそっと寄り添っていてくれた。
それもまた、申し訳なかったが、サリーがいないという悲しみはなくなることがなかった。

私の片割れ、私の天使。
私以上の私。
神様、どうか彼女をおひざ元に。
彼女を祝福してください。
彼女を特別にお作りになったあなたなら、彼女の美しさを覚えておられるはず。
そちらでの彼女が、私のサリーが幸福であるようにしてください。

教会のお祈り、日々の祈りで必ず、彼女のことを祈っていた。
そうして次に、私に与えられた家族のことも。


そのとき、その祈りの中で私は彼女の声を思い出す。
「どんなに離れていても、
もし、私たちがずっと後で
もしもずっとずっと先の未来で
違う人生に生まれるようなことがあっても
ジェーンが一番苦しいとき、私が、手を差し伸べてあげる。
ほんの一瞬でも、ジェーンを私が助けるわ」
その声が響くたび、私は涙を流した。
ああ、私が、私こそが、サリーの助けとなれますように。
彼女を覚えるとき、
彼女がそばにいた時の幸福と
彼女が今、この世にいないさみしさと悲しみと
私には彼女に何もしてあげられない無力さを思って、
ただ、涙が流れる。
祈るしかなかった。
神様、どうか彼女に祝福を、み恵みを。




うおおお、長い(笑)。
というか、ジェーンが泣いているところで、私も泣いてしまったよー。
何と言いますか。
これを見るきっかけになった人に、私、実際助けられてるんですわ。
その人の何げない言葉が、素晴らしいタイミングで飛び込んでこなかったら、私が線路に飛び込んどったわ、みたいな・・・(爆)。
ご本人、私がそれほど助かったことにも無自覚だった様子ですけども。
うーん。

でも、こんなに私に思われたら、サリーは怨霊になってしまいそう/汗。
あ、クリスチャンだから怨霊じゃないか。

しかし、ジェーンもしっかりしろよ!
自分の幸せをちゃんと生きろよ!
と、わがことながら思いました・・・。
旦那さんも娘も、優しいじゃーん・・・もったいねー。
しかし、一つの魂を二つに裂かれるように感じたのかもなあ。
せっかく二つになったんだから、それぞれ大事に生きたらいいんじゃね!みたいな(笑)。

幸せに生きましょう。
幸せを受け取ろう。
そうだよ、せっかく与えられたら、受け取って味わいつくさないとね!

感謝ですわ、これほどの愛情を確かめられたことに。
たとえ、これが自らの妄想であったとしても。