it takes two to know one

怖い検索でいらしてる方がいたので
前回の内容を一部削除しました(汗)。
うーん、閉めるか、、、、と最近考えてます。
まあ、みている人もいるんだと自戒。
そうそう、最近「人は見ている」というサインがバリバリです。
実際言われることもあり・・・気をつけよう。
だからこそ、公開をやめようか考え中。
 

昨日、進路相談みたいなやつで
「人はひとりじゃ自分はわからない、
It takes two to know one だよ」
って言われた。
そうなんだよなー。
最近は、自分が見たくなかった自分を見る日々が続いている。
なんだよ、これ、という感じ・・・。


憧憬と嫉妬の両方の対象となる相手がいるのだが、
どうにもくるしい。
どちらかだけだったら楽なのにー。
ていうか、いてくれないと楽なのにー。
そういう時はフォーカシングだ!と思って
フォーカシングの中で相手に尋ねる。
お前がいる意味は何なんだと。
私にとっては何の意味があるのかと。
「あなたの天使だから」
と言われる。
私の中にある、最も強い醜いものを見るために。
・・・そうなんだ。


苦しみを苦しまない方法はきっとあるはず。
痛みは、ただ感じるしかないけれど。


フォーカシングの後、
ノートにスピードライティング(中身のだらだら出し)で
思っていることを叩き出す作業をした。
そうしたら
「見えなければない」
というルールを発見する。
人間の価値も、存在の理由も「見えなければない」というルール。
それが私の中にある。
値段が付けられない商品はゴミだ、と思っているのだ。
自分自身に対して。
何故他人に対してあまりそれが発動しないのだろう。
思っていることすら、隠しているのだろうか。
生命というのは、本来価値などない、価値という物差しでは到底計れないものなのだろうけど。
そういう考えは、今までの私の人生にとっては幻想でしかなくて、
値札が付いている(分かりやすいとテストの点とか業績とか)
そういうもので価値が計られるのだろうと思っていた。
その世界の貧しさは十分知っているのに。
早く、この考えを変えてしまいたい。
椎名林檎の「ありあまる富」に逆走する価値観の持ち主でした。
この固定観念、ぶっ壊れてくれないかなぁ・・・。