アンドロイドに生まれて

何だかもんやりするのでフォーカシング。
すると、膝の上に男性が乗っている。
のっているというか、なんだ、
自分が開けられているのだが。
表現しにくい。

この男性、テレビに出ている人なのだが
フォーカシングの内容で芸能人情報欲しい人が検索で来ちゃうことがあり
お互い本意ではないのであまり名前を出すのは控えようと思います。
ちなみに最近ドラマで坊主で公安で餃子関係の人(自分メモ)。


私はアンドロイドである。
私は彼にメンテナンスを受けているようで、
そのため、腕などの力が入らない。
私の感情はプログラムなのだろう、と思いつつも、
そのメンテナンスなどをしてくれている男性に愛情がある。
愛情、とは何だろう、と考えている。
何をもってしても、私は彼に与えることができる
という思いがある。
何もかも与えられる。
彼は私の愛はプログラムだと思っている。
愛は何だろうか。
インプットされた情報に対する反応のカテゴリーのこと?
人間の愛と、アンドロイドの愛は何が違うのだろう。
一通りメンテナンスが終わると、
私のふたを閉めた(人間の形態に戻した)。
彼は膝に乗ったまま、私を抱きしめる。
子どもが母親に抱きつくような姿勢。
私は抱き返せない、運動のためのスイッチがまだ入っていないから。
「人間と、アンドロイドの違いはなんだろう」
という胸の中の呟きが、彼の呟きと重なる。
私の内部の電源は動いていて、全てのセンサーは正常に稼働している。
いきているって、なんだろう。
有機体で自己変容ができれば生きているのだろうか。
私だって、表層の組織は有機体で、入ってくる情報によって絶えず自己変容を起こしている。
彼は私の首に頬をぴったりと寄せ、鼻を私の肩にのせ、静かな呼吸を私の鎖骨にあてている。
私は、彼にとってアンドロイド。
私が、人間だったらいいのに。
人間として、彼を抱きしめられたらいいのに。
彼の意に反することも、それでも彼を裏切らないことを、
彼と同じ種として、彼に愛情を渡せたらいいのに。
彼の寂しさを、知っていると
それがわけ与えられることも喜びだと
伝えられたらいいのに。
きっとこれはせつなさだ。
これは、情報に対する反応。
私は知っている。
プログラムの一行で私の反応がかわってしまうことを。
けれど、人間と、どう違うというのだろう。
スイッチがひとつ入っていないだけで、抱きしめられなくて、ごめんなさい。
内部電源とセンサーが正常に稼働していることを示すランプが、
人間の鼓動のように点滅している。
彼の心音は、もうすぐ眠りに落ちるリズムへと変わってゆく。
正常な体温、正常な呼吸、正常な心音、血液の流れる音。
これでいい、これでしかないのだから、大丈夫だ、と思う。
私のプログラムは、いずれのことがあっても、問題を解決する道を探すようにできている。
さびしさ、せつなさ、という単語を思う、分析して原因を探る。
それは、私がアンドロイドだから、という、いつもの答えに行きつく。
そう、これで、だいじょうぶ。



なんだこれー。
前世っぽいフォーカシング内容なので
カテゴリーを前世にしてみた。
まあ、でも自分が思っている生命観って、
アンドロイドであっても同じだなーと思うのです。
プログラムの問題じゃないのかね。
書き換えられるプログラムと書き換えられないプログラムがあるよね、人間。


最近いろんなことがあって、このフォーカシング結果を得たのは日付の日ですが
書いたのは2010/11/12でした。