キャラクター特性がわからないRPG


うーむ、昨日友人に話してかなり自分の中で定着し、文章として出さなくてもいいか、という気分に多少なってしまった・・・。
なんということなのかー。
ミスドポメラで書いているのだが、高校生くらいのカップルがいてうらやましいなぁ。
うらやましいなぁ・・・。


まあそれはしょうがないとして。
自分はないという話の続き。
人によって、「自分」というものの定義がかなり違うとは思うのだけれど、私の思う「自分」というのは、どうも言いにくい。
自分の力の及ぶ範囲を持って自分というのかもしれないが、その力を及ぼす自分自身はどこにあるのかというとよくわからないから。
着ぐるみだと思って脱いでみたら、自分もありませんでした、みたいなことになっていないだろうか。
そんなことを思うわけですけれどもよ。
どうなんだろうか。


着ぐるみの話からまた、もやもや思っていたら、いろんな嗜好なども含む性質がが遺伝によって起こっているなあ、ということを思い出した。
そんなことを思ったとき、まあ、もし輪廻みたいなものがあるんだとしたら、自分がいつかに自分という人生を買ったのかなぁ、なんてこと思った。
RPGとか、人の一生やある時期を疑似体験するゲームがあるじゃないですか。
あれって、キャラクターによって、ストーリーに制限があるよね。
司祭の能力が100、戦士の能力が3で生まれてきたのに、
戦士になろうとしちゃったら苦しいだけの人生になるわけで・・・。
プレーヤーはキャラクターの特性を知っているから司祭としての人生を選べるけど、
まあ言ってみれば我々はキャラクター特性を知らないでプレイしなけりゃならないという。
ストーリー物で見たって既に制限があって、
たとえば、すごい美人が転校生でやってきて、担任の先生とかに
「お前が初めのことを教えてやって」
みたいに言われてその美人と話すとき。

  • 「休み時間に、一緒に構内回って教えようか?」
  • 「困ったときは、何でも言って」
  • 「とりあえず、構内案内図あげておくから」

って言うしか選択肢がなかったりするじゃないですか。

  • 相手の肩をたたいて、大きくうなづき、ひたすら相手を見つめる。
  • 顔を見た後、ダッシュでトイレに逃げる。
  • 近くの女子に、代わりを頼む。
  • 昨日思いついたダジャレについて、意見を求める。

とかはないわけですよ。
エンディングだって無限にある訳じゃないし、その過程だって途中に誰それに会うとか、どんなに回避しようとしても親友と喧嘩別れするとか、結婚みたいな大きなイベントだって、結局同行しているパーティー内メンバーからの2択しかないとか。いや、本当は一緒に行動してるパーティじゃなくて、武器屋のお姉さんが好きなんだ!と思わないわけですよ、何故か。まあ、衝動ばかりがオートマティックじゃなくて、感情やなにやらもアウトオブコントロールなわけですけども(ルー大柴みたいな文章だ)。



なんだか鼻息の荒い文章になってしまいましたが・・・。
なんというか、ある条件を満たすと自動的にイベントが起こることになっているし(それは、たとえばレンタルDVDを延滞してしまうとか(それ私)、交通事故に遭うとか、道でかっこいい人にぶつかって3ヶ月後に結婚するとか、鼻風邪を引くとか)
そういう中で人生を選んでいるんだろうと。



そういえば、カウンセラーさんと「思いは実現するというアレについて」話していたのだが
私はほとんどアレはあれだったんですけど
カウンセラーさん曰く、
「それがそのまま実現するかどうかはともかく、そっちの方には行く」
って言っていたなあ。
たとえば、野球選手にはなれなくても、野球の記事を書く人になるとか、野球場で働く人になるとか。
まあ、わからんけど。
私は・・・まだ実証できていないかも。
あこがれの乗り物が二つあるのだが、
乗れていないが、一つは実物を触れるところまでは行ったなぁ。
いや、触りたいんじゃなくて乗りたいんですけど。
とりあえず今日は、こんなところで。