すかっとさわやか

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

やれやれー。
これを読んで、私はスカッとさわやかな気分になってしまいました(笑)。
人をどう嫌うか、人を嫌うということは何が起こっているのか
という本。


この、爽やかになってしまった感じというのは、
アンテナ(映画)を観て癒されてしまった時の感じに似ている。


人を嫌うことの裏には自己愛があり、

  • 自分の期待にこたえてくれない

という辺りから端を発して雪崩のように色々なことが起こる
なんて印象を持った。
中島義道氏はこの本の中で人を嫌うということを8つに分類しているが
私の中で大きかったのは上記の「期待」と「自己愛」。
自己嫌悪は、自分が自分の期待に答えてくれないという二重構造から。
そこのループから出られればいいけど、出られないならしょうがないよな。
みたいな。
っていうか、
過剰な期待をかけるのは、
どうやら自分に期待をかけていた人から嫌われることを
異常に恐れていた結果のようである。
例えば親とか、先生とか、友人とか。
でもそういう他人の心というのはわからないので、
結局は架空の人、自分の中にいる完璧主義者のがなりたてる声を恐れ
それは存在しない人なのだから、永久にその人の期待にはこたえられない
みたいなことになっているような。


この本を読んで、何が私を爽やかな気分にさせたかと言えば
どうやろうと、誰しもが、誰かに嫌われているものだ
というのが如実にわかったからではないだろうか。
人は理不尽に人を嫌い、嫌われる。
人をうまく嫌おう、というようなことも書いてある。
嫌いということをうまく出す。
なんだか気持ちが軽くなるわぁ。


私はどれだけ人に嫌われることを恐れていたことか。
そして、それを避けるための努力がどれだけ自分を苦しめていたことかと。
嫌いな人は嫌いなままで、そのまま付き合えばいい、うまく。
そんなこと言う人、初めて会ったよ。
私は聖人にならなければ生きていてはいけない
みたいなところをどこかで思っていたようだ。
そんな奴、いないです、ほんとうに。


物凄い自己鍛錬でだれも嫌いじゃないと、心の奥底をひっくり返したって言える人もいるのかもしれないけれど、
そういう人って本当に稀だし、
そういう人は常人ではないので(超人)、
どうしようもない自分は嫌い、嫌われながら生きればよろしい。


嫌うということは感情としてオートマティックに出てくるのだから(好きと同じように)
それを抑圧したところでどうしようもないのだろう。
抑圧してそこがネジクレたほうが、なんか変な恨みになったりしそうだし。
嫌いを育てないで、「そうか、嫌いか―」という感じで見る、
それで、何が原因なんだろうなーと、うっすらと思う。
そういうことを繰り返して生きていけばよろしい。


何か後で色々また思うかもしれないけれども、
とにかく、私は気が楽になったという話でした。
別に嫌いだっていいじゃん、という。
別に好きだっていいじゃん、と同じように。
そんな気分。
「嫌い」を恐れすぎて、熟成させて発酵させていたのだなーと思います。
いやあ、本当に、私って繊細なんだなあ、ということで(笑)。