1200本のクレヨン

繊細さや敏感さで疲れてしまう人と
そうでない人がいるが
そういう違いって
渡されているクレヨンの色の違いみたいなものじゃないか
とふと思ったのだった。


一人の人間に渡された一生分のクレヨンが1200本だとして。
普通の人は12色を100本持っている。
一番色の多い人は12色の色が基調だけど、1200色持っている。
色を見分ける能力も、持っているクレヨンの種類と同じ。
みんなが「青だ!」といったときに、
同じ青を使えるのは、繊細な人はクレヨン一本分しかない。
他の人は、100本分ある。
自分には、100種類の青が見えているが
普通の人にはその100種類が1色に見える。
皆と同じ絵を描こうとしても、すぐに同じ色はなくなり
同じことはすぐにできなくなったり
同じようにしようとしても同じことはできない。
「青いねー」というその青が
私とほかの人は違ったりする。


本当は一番、世界の豊かさを感じ、表現できるのかもしれない。
単調に見える世界も、複雑に見える世界も
同じものではあるけれど、
自分がどんな風に見えているかは
その豊かさのようなものは、
まず自分が感じないと分からないのかもしれない。


自分にはもうみんなと同じ青は使えないとか、
あの人は青い絵をあんなにたくさん描けるのに自分は何でとか
そういう苦しみみたいなものがあるのかもしれないけれど
その苦しい想いというのは、
もしかしたら残り99本のみんなと同じ「青」では描けない「青」なのかもしれないし
その「青」で「きれいだー」とか「酷い色だー」って感じることができるのは
人生の豊かさのようなものかもしれない、
じゃないですか
などと思いました、昨日。




そして、何度もいろんな経験をして、
自分にはもうみんなの使う「青」はないのだ、とガックリと諦めたころ
みんなとは違うのよね、と思って使っている自分の「青」をみて、
多くの人にすれば「え?この私の青と、あなたの青、違うの?」
みたいな感じで、実はたいしたことではないということも、知ったりするのだ。
そして時として「よく見れば違う」などと言われて
「おいおい、お前にこの青の違いが分かるわけねーだろ」と毒づいてケンカしたり
「きれい、そっちがいい」「なんだ、変な青」と言われたり
まれに「ああ、私も!私も同じように青は100種類なの!」
という人に遭ったりするのだ。
面白いかも、豊かかも、しれないじゃないの
そんな人生だって。