フジファブリックと (1)

2010/02/19から、突然フジファブリックにはまりました。
そこから約十日、CDを3枚借り、最新アルバムとボーカルの書いた本まで買ってしまった。
本はまだ手元にない状態とはいえ、私としては恐ろしいはまり方。


もうちょっと色々考えがまとまってから記事にしようと思ったのだけど、
毎日のように考え方が変わっていく、
という激変の日々にあって、前日のことを忘れてしまうので
まとまっていなくても記録で残すことにする。


それまで、フジファブリックのことは全く知りませんでした。
聞いたことがあるような気がするかもしれない、という程度。
きっかけは、東京事変ありあまる富の動画をYouTubeで探していたとき。
あの、YouTubeって関連動画が横にずらーっと色々並ぶじゃないですか。
それで、なんか、明らかに東京事変じゃない人がいてですね。
誰やこれ?と思ってぽちっと。
それが、フジファブリックの銀河という曲だった。
これが、またわけのわからんPVで、変な踊りが繰り広げられているし。
で、なんだこりゃ、から他をぽちぽちしていたら、
なんだか情緒のあるフツウ(?)の曲もあったり、
さらにぽちっとしたら、Sufer KingというPVに当たった。
曲が始まる前に他の人の感想を見たら「きもちわるい」とw
どういうことですかと。
↓これですね(埋め込みができないのでリンクへどうぞ)。
YouTube
始まったら、
どかーん!
なんじゃこりゃー!!!
と何かわけのわからない衝撃を受けて(見ればわかる相当イカレた(笑)PV)、
それからはもう真っ逆様、というか。
お蔭さまで、それからというもの音楽はフジファブリックしか聞いてない。




で、フジファブリックを知っている方には周知のことでありますが、
ボーカルの志村正彦氏は、2009年12月24日に享年29歳で急死しているのです。
そのニュース、私は読んでいました。
昨年は周りの人が何人か亡くなり、死に対し敏感になっていたので、
「またこんな若い人が亡くなって、周りの人は大変だろうな」
なんて思っていたのでした。
フジファブリックって、知らないなぁ、と思っていたのです。
それがさぁ。


まあ、フジファブリックフジファブリックとして知ったのと、
志村正彦フジファブリック志村正彦として認識したのが同時だったので、
なんだかなかみがごっちゃごちゃになったのだが、
一週間前にはよく知らなかった人のことで泣くまでに。
居ないことに腹が立ったり、泣いたりで、
その自分がどうしたんだよオイオイ、という状態でわけがわからんと。
私はどうしちゃったんだと。


まあ、わけがわからないことがあると人は考えるもんです。
人は人を知ることで、その人が自分の中で生き始めるのだ、というのと同時に、
その生き始めた人が同時に死んでいる、という状況に混乱した。
なにしろ、志村は亡くなったばかりで、
亡くなったという情報がなければ、生きているのと同じように沢山の記録があるわけです。
芸能人の人たちというのは、実体と接することはまずないので(ライブは別だけど)、
その情報が断ち切られたら、死なないわけです、認識として。
だから、どんどん志村がどんどん人格を私の中で形成していくのと同時に、
圧倒的な「不在」の情報がついて回るという。


なにか、混乱が起こったというのはよくわかった。
しかし、フォーカシングでは全く答えが返ってこないくらい混乱しており、困った。
対話にならないのですよ、「新しい情報への歓び」と同時に「喪失の虚無感」が同時にあって。
アワアワしている自分を眺めるしかない。


まあでも、自己同化せずに眺めるスキルを持っていたというのはとても助かったけど。
色んな事が手につかない状態には変わらないわけで。


そんなときに、南直哉禅師のこの記事を読みました。
恐山あれこれ日記: 弔い問答 その1
非常に長い記事ですが、大切な人も、自分自身も死を迎える身の上の私達には、
読んでおいて損のない記事です。
これで、私の中でなにかが、カチンと違うものへシフトしました。

長いので、次の記事に続く。