楽器

カウンセリングの時にセラダの話をうっすらしてみた。
まあ、キモは
「社会的に付加される価値と言われているものと、
人やモノの存在と同一の価値というものは
同じ価値という言葉を使ってはいるが、全くの別物である」
ということ。
これが、以前に比べ実感を伴って理解できたと。
まあ、これについてはうっすら同意いただけたかと。


しかし、フォーカシングで宇宙人が出てきて、
そいつといるとやたらに安心感みたいなものが
という話になると、話がいきなり低速に。
いやいや、あの宇宙人がどうのこうのというより、
人というのは一つの楽器のようなもので云々、というところがですね。
バイオリンは息を吹き込んだところで鳴らないし、
トランペットにオーボエのリードをつけようとしたってだめだっていう。
はっはは、まあな、あやしいもんな。


まあ、フォーカシングの話が内側にあるだけの話かどうか
というところは、どちらでもいいことなのよ。
夜見る夢でなにか大変なことがあっても、
それで人の価値が変わるものではないからね。
というか、存在としての価値というのは、
変容などあり得ないものなので、
もし変わるとしたら、それは本質的な価値とは関係ない「価値という名前の何か」なのだと今は思う。


もし、行為によって命の価値が変わるという人がいるとしたら、
私が見ている命と、その人が見ている命は違うのだ
などということを思ったりしました。
はい。