取り込んだ洗濯物と向き合う

洗濯物をたたむのが嫌なのです。
まあ、ひとり者なのでそんなに困らないんだが。
食器洗うのは苦じゃない。
しまうのは・・・まあ、しまうところがあんまりないけど。


なんで、いやなの。
と訊くと(フォーカシング)
実家の居間の炬燵の上にてんこ盛りの洗濯物
帰ってこない親
静寂
という情景。
しーん、という音がしそうだ。
しかも、フォーカシングしても情景が変わらないんですけど。

「○○ちゃんちは、おやつだってあるのに」とか
「こんな、やったって何もなくて、怒るばっかりのくせに」とか
ぶつぶつ考えている。
寂しいのだな。
寂しかったのね。



食器洗う方も、もともとは同じ印象だったけど
大人になってから自分で、苦じゃない印象に変えていた様子。
アルバイトで洗い物したりとかもあったからかなぁ。
台所が綺麗だと、単純に嬉しい。
あ、洗った洗濯物が積んであっても、汚いとは思わないということがあるのかな。


寂しいという話で、昨日観た映画で*1
「寂しいからって誰かと一緒になったら、寂しくなくなったらその人は不要ってことになっちゃうんじゃないのかな」
みたいな話があり(セリフうろ覚え)
確かにそうなんだよなぁ、と思う。
寂しいだけで、誰かと一緒にいようとする人、すごく多いよな。
まあ、一時寄り添うだけならなんてことはないし、それもいいと思うけど
根を張ったら、やっぱりそれを引き剥がす時は痛みを伴うものだ。
それを分かっていたいよなぁ。
自分も相手も痛むんだ。
いつか痛みを抱くことになっても、共に居たいと思える関係というのは
ある程度の成熟を必要とするのかなぁ
なんて思うのは、やっぱり傷つくのを極度に恐れているからかもしれない。

*1:

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