天性のものは人に語れない

  • 天性のものは人に語れない

と思う。
昨年、メガネを新調してから両眼でものを見るということができるようになったのだけど、両眼で見た世界と片目で見た世界では、あまりにも違って、分かるように説明できない。
その時の、驚きと感動と言ったらなくて、初めての見性体験に近いものがあった。
図らずも、マリーの部屋の答えを私は自分で体験したのだった。
まあ、こんな話じゃなくてだね。


  • 人から語られる言葉は、すべて人の経験を伴ってきたことだ。

ということに気がついて、なんというか畏れ多くなったのだった。
私の人生にも、尊敬する人というのは何人もいる。
有名な人ではなくて、まあ昨日の店長とか、お世話になっている人とか友人。
最近はやっと、親も。
そういった人の持っている素晴らしい人格みたいなものって、前は天性のものだと思って、
あー、私は、無理やねー
と思っていた節があった。
が、違うのではと。
何かの拍子に出てくる、人に対する思いやりや優しさ、強さ。
そういったものって、その人が痛みを超えて、そこから学んだのじゃないかと。
耐えがたい失敗や悲しみも超えてきた人なのではないかと。
こんなの、当たり前の話なのかもしれないが。
こういったことが抜け落ちていたことにも気がついたわけで。
自分にないものに対して、不誠実であったというか。
自分も育てられる素地があることを信頼していなかったというか。
尊敬する人々の努力やらなんやらに対して、過小評価していたなと。
偉大な人はやっぱり偉大なんだなと思ったと同時に、
誰もが、学ぶ姿勢から逃げなければ、偉大な凡人になれるんでは、と思った。