その日

叔父が亡くなった。
11日の夜、12日午前1時ごろだったらしい。
12日の夜になってから連絡を受けた。
叔父の参列者リストに、姪、甥は全て入っていなかったそうだ。


神奈川で葬儀が行われることになり、
しかし親類のほとんどは九州に居ることで
飛行機の切符の手配などをさせてもらった。
こういったとき、親族としての性格みたいなものが見えると思った。
今度亡くなった叔父は父の弟で、その奥さんの叔母も同じ町の人間。
うちの母は中越出身のため、言葉もしきたりもかなり違う。
こういった時の見栄の張り方、気の使い方も違う。
母はかなり消耗しているらしい。
父方の兄弟の中で、同じ町内の人間以外と結婚したのは父だけなので、まあ色々とある違いに揉まれたりするのも、ある程度仕方なかろう。
詳しいことはよく分からないが、私に連絡が遅れたのも、なんかいろいろな柵の影響であったらしい。


一昨日は、気を紛らわせないとやっていられず、ちょっと飲み過ぎた。
10年ぐらい前は今の5倍くらい飲めたのになぁ、などと思った。
叔父がずっと闘病中であったこともあるのか、感情的な混乱を見せる人は殆どいなくて、
自分だけ一人で混乱している状態でいることの受容に、私は一段階欲しかったのだろう。
何かと事務処理やら、それに付随した連絡待ちとかしていて慌しく、
今までのただ参列したり、偲んだりする死とちょっと違った。



結局、叔父に会いに行ったのは、一月に会いに行ったのが最後になってしまった。
穏やかな叔父のことだから、怒りを見せたりということはなかったけれど、
どこかで、「会いに行ってごめんね」と言えたらなぁ。
あのとき、来てくれてありがとうって言ってくれて、ありがとう。
もしこうだったら、と思うのはどうしようもないだろう。
どうしても浮かぶ罪悪感も、押し込めても仕方がない。
変えられなかった過去のことに対する思いは、今に使うしかない。




今日が葬儀だ。
叔父の望んだままの葬儀になりますように。