憧れの人、祈りのかたち
そういえば、日曜日には福岡でも大きな虹が見えたのだった(覚書)。
虹は変化、多様性などのサインらしい。
皆既日食も明日ですが、あれも変化のサインらしい。
やたらに5の連続ナンバーを見るが、あれも変化のサインらしい。
ああ、どんどん変わっちまっとくれ!
でも何が変わるのかしら、と思う。
昨日は、卒業式でちょっといい刺身の付いた弁当を食べ損ねる、という夢を見た。
高校の、今は子供もいる友人が出てきていた。
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「モモ」に出てくる、30分先の未来が見えるカシオペイアというカメ。
前に読みなおした時、彼(?)のように生きたい!と思った。
小学生時代に初めて読んだ時は、カシオペイアの素晴らしさは分からなかったなぁ。
カシオペイアは、出来ることとできないことがあることを知っていて
自分の行動がどうなるのか常に見えている。
SF映画なんかで出てくる超能力者たちとは違って、
未来に起こることが分かっていても、それを変えることができないと知っている。
しかし、カシオペイアは絶望からは非常に遠いところに生きている。
自由にとても近い場所を、カシオペイアとして生きている。
カメだから、大したことはできないが、
大した奴だ。
未来は変えられないけど、変わって行くものだ、
それは今だから、と、思っているんじゃないか。
「モモ」の中の文章を深い水に潜るように慎重に降りていくと、
とても大切なことが沢山書いてあることが分かる。
本当は、未来を知っていることと知らないことは、何も違いがない。
起こることは起こるし、起こすことは起こしてゆく。
カシオペイアはカッコいい。
カメだけど。
今がどれだけ、輝きに満ちた一瞬か知っている。
今を生きること、今を楽しむことの意味を感じているのじゃなかろうか。
たんたんと生きるというのは、実はとても難しいことだが、
たんたんと生き、ただあり続けるのは楽だよ、と生きてみせる。
未来が分かることで、不安からはるかかなたに生きることを選んでいる。
未来が見えたら、苛立ちで燃え立つようになるかもしれないが
そこをじっくりと時間をかけて乗り越えたのだろう、と勝手に想像。
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大変な状況の中にあるはずなのに、ただ生きる姿が美しかった。
あと、感動を覚えたのが
弱さを好きになったから、(その人の弱さを)怒らない。
という文章を他所様のブログで読んだとき。
こんな風に愛せるだろうか、とガーンと衝撃を受け、深く感動した。
加えて、bonobosという歌うたいさんたちの、「GOLD」という歌の歌詞。
これは、今の私の祈りのかたち、そのものだ!と感動。
大事な存在が去っていくのをただ赦す、というのは、すごいことだ。
bonobos - Gold - YouTube
一体、何が感動を引き起こすのかなぁ、と思うと、以下ではないかなぁ、と。
- あることの全てを受け入れようとすること
- それは、敗退することではないこと
- 人やもの、すべてにおいて、「所有はない」ことを知っていること
- すべての存在の自由に根付いた精神を持とうとすること
- 愛というものが、すべてにおいてあると知っていること
最近は、自分が思う正しいことや、こうなったらいいということは、
全体(宇宙とか)の調和的な視点から見た、「正しさ」みたいなものと違う場合が多々あるのかもしれない
と思うようになってきた。
無理して力んで「こうあるべきだ!」っていうのは、いかにも「間違っている」が、言っている本人は、間違っているということも、間違っていると言っている人がそういう理由も分からないだろう。
私は、前はそういう人だったから、そして今もまだそういう人でもあるから、よく分かる。
でも、ちがうんじゃないか、って、今は、思う。
「正しい」こと自体が、実は無い、という思いの方が強いし。
そして、「それでいい」と感じている。
先日、友人Kの記事を最初に書いたとき、本当は「愛する人に。」の感想を書こうと思っていた。
この本の中にある一章に、「愛する人を喪った人に」というような内容の部分がある。
読んだ時は、まだKのことは知らず、一昨年なくした従兄のことを思い出していたのだが、まー、Kのことがあって、とてもこの本自体について書くことが無理になったのだった。
つまり、私自身が、恋愛がどうのというよりももっと包括的な、「自分以外のだれかに愛情を注ぐこと」について、自分が他人に持つ感情について、大きく、冷静に、形にする方向で考えなおすことを迫られたのだと思う。
アマゾンのレビューには短い文を書いた。
愛情というのはどんな状態においても、何かに向かっている。
けれど、それがどこを向いて、どんな結果を産もうとしているのか、本当に自分が求めて何をしようとしているのかを見るというのは、実はとても厳しい。
自分は、いつも美しいわけじゃないから。
でも、その美しいわけじゃないものの中にこそ、人としての本当の光があったりする。
それを見ようとするのは、とても痛みを伴うことだ。
でも、それを、それでも見ようとする行為こそが、愛なのかもしれない。
覚悟をもって、痛みの中にある光に、目を向ける。
光は、ないかもしれないのだ。
でも、その痛みを引き受けようと覚悟することが、愛することそのものであり、
祈りのかたちそのものなんじゃないかと思う。
よいこともわるいことも、痛みも、引き受ける覚悟をもって生きられたら、どんなに世界が輝いて見えるだろうかと思う。
本当に覚悟できたら、それはとても怖いことだけど、引き換えに本当の自由や愛というものを知ることができるかもしれない。