荒療治気味

昨日、2007年に亡くなった従兄のご両親と遊んできた。
遊んできたと言っても、
私が家に押しかけて、ただ居る、というのがメイン。
ご飯を昼、夜、とごちそうになった。
しかも、昼のあと、眠くて半目で居たら、昼寝を勧められ、
素直に人んちで昼寝をする、という暴挙に出る。
親には言えんな/笑。
 
叔父叔母はいつも非常によくしてくれる。
最近やっと気が付いてきたというか、受け入れるようになったのだが
うちの両親はその兄弟姉妹が認めるほど、常識の範囲を逸脱しないぎりぎりのラインで変人で、
当然、その人たちの子供である私も、たぶん、変人になっていると思う。
自分では全然自覚がないが、
あの人たちがあれだけ変なのだから、私だけまともというのはありえないだろう。
自覚がないが、私が言うことは叔父叔母の常識からずれているらしく、
いつも二人きりの生活(ここんちには従弟もいるが、別に暮らしている)のところ、
違うものが侵入してくるというのは、悪くないらしい。
ありがたいことだ。
 
時期も時期だし、私の方も友人を亡くしてグルグルしていることもあり、
従兄や私の友人の話になった。
忘れられないこと、忘れようとすることを手放すこと。
悲しみたい気持ちに寄り添うこと。
 
出来ることは、ただ受け入れていくことしかないんだ、と、改めて思い知らされる。
痛い痛い。
でも、記憶があるから、痛いんだ。
この痛みが、友人や従兄がいたという、私の中の灯りのひとつだ。
 
 
それにしても、まだまだ、じゅうぶんに私の中で友人が亡くなっていないのに
叔父叔母のところになんて行ってしまったものだから、
まあ、痛い痛い。
頭が痛い上に、何かぐらぐらするし。
まあ、仕方のないことなのだろう。
これもまた、大事なプロセスと思って、じっくり変化を待とう。
殯を尽くすというのは、こういうことでもあるのだろう。
 
あんまり頭が重かったりというのと、
最近ちゃんとレイキやらないとなぁ、と思うところあって、
バスに乗っている間、発霊法というレイキの筋トレみたいなやつと
フォーカシングを同時にやった。
フォーカシングをしていると、水晶でできた西洋竜が出てきて、私に手を差し出した。
それに合わせて、私が手を出すと、私の手も水晶みたいなものでできたトカゲの手になっていた。
左にその西洋竜、右側に、何か天使みたいな形の水晶でできた人がいて、
私に、水晶でできた多角形のでかい香水瓶みたいなものに入るように促した。
西洋竜が私の胸のところを覗き込むので、見ると、
鉛筆の半分ぐらいの太さの水晶の針が物凄く沢山、マーキースの形を取り囲むようにして刺さっていた。
「今、とても痛むのは仕方がない。けれど、これしか次の扉を開く方法はないのだ」
と、竜が言った。
私は、香水瓶のような、棺のようなものの中に入って、胎児のように丸まった。
水晶の竜と天使が、その瓶に手を当てて、透けて見える私を見ている。
私の胸のマーキース型の穴から、赤ん坊の手が片方、ゆっくりと出てこようとしていた。
 
うーん、また、何か新しいことがあるのかなぁ。
まあ、価値観とか、変わるのは、ふつうか。
この状況なら。
あまり焦らずに生きたい。