人生、壁に向き合うばかりです。
 
 
 
まあ、そりゃいいとして
昨日、実際壁に登ってきました。
ライミングジムに行ったのです。
 
講師の方は同じ名字の人だった(親戚ではなかった)。
この地方には多い名前らしいとか雑談。
壁にひっついて、困っている自分の状況が可笑しくて、笑いそうに。
休みながら三時間、登ったり降りたり落ちたりして、
帰りに自分の名前を書こうとしたら、手に力が入らず変な字に!/笑。
その字が会員証の字になってしまった。
しかし普段の字と違うよ。
いいのか。
 
今朝起きたら、指の筋肉痛。
グーにすると、じわーっと痛い。
あと内股とグーをすると出る腕の筋、二の腕の下の筋肉、お尻と頭の筋肉(なぜ。
上腕二頭筋はバイオリンのおかげか無事。

でも、激しい運動ではないし、結構頭は使うし、自分のペースでできるし、筋肉も使っている模様。
面白いので、たまに行こうということになりました。
 
やっぱり、楽しみながら暮らすには到達することより過程に楽しみを見出すことは大事だなー、などと
同じルートで四回ほど落下しつつ思いましたよ。
 
ライミングボルダリング)には、課題というのをがあってそれをしていた。
課題は、手をかける疑似石にナンバーが付いていて、そのナンバーを辿って、ひとつのルートを登り切るというもの。
その課題の一つをしていたとき、二回連続で落ちたとき、来た/笑。
突然噴出してきた妙な恐怖感と、自己否認。
「私は何をやってもできないんだ!」
というやつ。
かつての色々な失敗たちの思いと共に。
ぎょわー!来た!ってすぐにわかり、「いやいや、これはそういう『おもいで』だから」と気がついて、自分に言い聞かせたら、落ち着いて通り過ぎて行きましたが。
同じルートで、同じ初心者コースで、同じように二回落ちたおじさんは、そのまま帰ってしまわれました・・・同じ「おもいで」のある人だったのかな。
 
「おもいで」と分かってからは、もう、何回落ちても大丈夫/笑。
まあ、何度も落ちているうちに登れるようになったりもあったのだが、
最後の課題はもう、筋力の低下と疲労で無理!と判断し終了した(そして字が書けなくなり/笑)。
帰りに、「まだ、一日中できますよー(終日券)」と言われましたが、
ええ、流石に自分の体力を知っておりますのよ・・・。
膝もかくかくでしたわ。 
いやー、しかし、とうとうやってみた!という喜びはあるなぁ。
 
それにしても、「登れないー」となったときに、「いやいやもう一回」というように行動できるようになっていたのは、凍*1を読んでいた影響もあるなぁ、と思う。
あの山野井泰史氏だって、登れない壁を何度もやって登れるようになった、などという経験があるのだから、私ならいくら登れなくたって恥ずかしいことなどないだろう。
ジムのトレーナーさんたちも、しきりに「失敗は恥ずかしいことではない」と言っていたものなあ。
恥ずかしいのは、自己中心的なクライミングで周りに怪我をさせたり、自分が怪我をしたりすることで、自分で自分の限界を判断してクライミングを途中でやめたりすることではないってしきりに言っていたものなぁ。
まあ、うっかりすると死んでしまうスポーツらしいので、そういうところもあるだろう。
自己責任を負うことで、自由を手に入れるというか。
そういった話を聞いたり、登ったりしながら、船の上のことを何度も思い出した。
 
壁、いいです。

*1:

凍 (新潮文庫)

凍 (新潮文庫)