南の島 ユイットーオー

iPodのランダム再生でまた来たのでやってみた(約1400曲入ってるのになぜ毎日/笑)。
私が聞いている前世退行瞑想の内容は、初めに自分の今の人生の昔のことを思い出しましょう、というところがある。
それをやっていたら、小学校時代の給食の時間が出てきた。
私はその頃、食べるのが物凄く遅くて、いつもいつも時間オーバー。
私の通っていた小学校は食べるのが遅いと翌日の給食の時間には、みんなと同じ場所で食べることができず、黒板の下あたりに机を移動させられ壁を向いて食事をしなくてはならなかった。
チョークで粉っぽいし、周りは見えないし、晒しものになっているし、嫌だった。
それで、食べるのが早い子と同じリズム、同じ動作で食べてみたりして、苦しくなったりとか、食べ物の味がしないとか、そんな体験が良くあった。
「早く食べるのは正しい」→喜びはない→「喜びがない方が正しい」、みたいな変な思い込み。
おいおい・・・。
最近、先月の忙しさでうっすら拒食になっていた反動で、現在軽く過食気味なのだが(拒食と過食はセットなのです)、こんな昔のことも食べ物に関する思い込みの原因になっているのだなぁ、などと思った。
まあ最近は、拒食過食とやってきても、「あらー、こんちは」って感じになってきたので(そうでない時もまああるけど)、随分楽になりました。ありがたいことです。
 
薄らぼんやりしているうちに鏡が現れた。
鏡の向こうに、海が見える。今のブログの上の写真に似ている。
砂浜に浅瀬が続き、沿岸には熱帯性の植物が生えている。
子どもが集まって、水を掛け合ったり泳いだりして遊んでいる。
みんな、ブラウンの肌色の子供たち。
私も同じ色の肌、少年のようだ。
友人が、「トーオー!オーオー」と私に掛け声をかける。
私の名前だろうか。ときどき、ユイットーオー、トーオーとも呼ぶ声がした。
私は平泳ぎで海に潜っていく。
と、目の前に急に大人の女の人が現れた。
顔はよく分からないが、ウェーブがかった長い髪で、笑いかけると私の両手をつかんで、すごい勢いで海に引き込んだ。
えっ?と思う間に、意識がなくなった。
 
気がつくと、7,8歳くらいの女の子の顔と、空が見えた。砂の上のようだ。
足はまだ、海水につかっている。
その女の子は私の顔を両手で挟み、「だいじょうぶ?」と言った。
溺れて、助けられたのだろうか。
でも、怖いという思いは一切なかった。
あれはなんだったんだろう。
家に帰ると、母親に「魚は?」と言われた。私は魚を取りに行っていたらしい。
「あ、忘れた」と私は言うと、しょうがないね、というように肩をすくめた。
母は「ごはんだよ」と言い私に手招きした。
たいして怒られなかったところを見ると、食べ物にあまり不自由しない場所のようだ。
 
私は大人になった。手足のひょろ長い男だ。
川の傍の木に登って、実を集めているようだ。
大きいので、ヤシの実かもしれない。
川の方から女たちの歌声が聞こえる。洗濯をしながら歌っているようだ。
歌詞は決まっているようで、アドリブも入り、笑いながら輪唱している。
それを聞きたくて、私は余計にその場所で実をもいだ。
 
畑仕事もしていた。芋のようなものを作っていたようだ。
友人か、兄弟の男性と畑で鍬をふるう。仕事をしながら、二人で歌う。
時々下品な内容も少し混ぜて、バカみたいに笑ったりしながら、仕事をする。
漁にも出て、双胴船のカヌーのような帆船で、網を打って漁をした。
雨季には、家の中で網を作ったり、酒を作ったりした。
この期間には、外に出ることはできないが、家族でいつも一緒にいられるのが良かった。
結婚したのか、母親のほかに家に若い女性がいて、目が合うと恥ずかしそうな、嬉しそうな顔をするので、それを見るのが何より幸せだった。
私を呼ぶ時も、恥ずかしそうに「ユイットー」と小さい声で言うのだった。
何の不満もなく、満たされていた。
遠い世界に何か新しい、素晴らしいものがあるらしいという友人たちもいたが、ここがこんなに幸せなのだから、それ以上のものなどなくていいじゃないか、と私は思ていた。
ただ、時々、子供の時に私を海に引き込んだ、あの女のようなものを思い出した。
 
 
双胴船の漢字を度忘れして調べたらたまたま行きついたのだけど、ポリネシア人だったのかな、と思った。
なんか、いい人生だなー。
今を幸せだと思えるのが一番の幸せだよなぁ。
そういや、今回は腕に引っ張り込まれなかったわー。
この違いは一体何なんじゃー。