いろいろ

「凍」を読んだことから、山野井泰史氏に関心が出てきて、ネット上の記事などを読んでいる。
「人は読んだもの、言ったものになる」というようなことを確か、吉本隆明氏が言っていたのを覚えている。
人も含め情報はみな、自分に合う面と合わない面をもっているものだが、今の私には山野井泰史氏の生き方を取り込みたいようだ。
以前熱中してとりこんでいた人も、今は昔。
興味が移り変わることによって、人は多面的になって行くのだろう。
 
「凍」を読む以前から、私はロッククライミングを一度やってみたいという思いがあって、それはこの本を理解するためだったのかなと思ったりする。
偶然直前に、ナショナルジオグラフィックのバックナンバーでアルパインスタイルを確立した登山家の話を読んだりもしていた。
興味を持ったのは大学入学のための浪人生ぐらいの頃だと思う。
東京の四谷駅駅ビルに入っている本屋で、クライマーの背面からの姿と登る壁、青空の背景の何かの表紙を見た。
その時、趣味で挿絵入りのファンタジーを書いていて、理想的な人間の筋肉の付き方のモデルを探していて、その写真が一番理想にあっていたのだった。
結局、その雑誌は買わなかったが、ロッククライミングのことはずっと気になっていて、自分も登ってみたいという思いがあった。
そのうち、やるかもしれない。
 
ホメオパシーに関心が出てきて、少しやってみることにしたのだが、同時並行で調べ始めてみると、やっている人は盲信的にやっているし、そうでなくホメオパシーについての記事を書いている人は、どうもインチキ科学のように書いている。
事例が足りなく、統計が取れないというのがあるらしい。
ホメオパシーを試すのに付き合ってくれると言う友人は、プラシーボかどうかを、内容表記のないレメディー(薬)を摂取して反応を見る、という方法でやってみようと言ってくれている。
 
これに伴って、フラワーエッセンスの中止も考えている。
フラワーエッセンスが本当に効くかどうかは実は私は余りよく分かっておらず(2005年から使っているのだが)、プラシーボでもいいという考えでいることもある。
加えて、しばらくやらないでいてみることで、何か見えるものもあるかもしれないという気もある。
 
内側がだんだん静かになってきている。
いつもそうあることが、生きることの最大の礎だなと思う。
共に居て最も大切にすべき人は、一緒に居る時に自分が透明になってゆくように感じる人だ、と何かで読んだ。
まず、自分自身が自分にとってそうありたい。
 
最近見た映画で、ことごとく同じサインが出ている

  • 生きるものすべてには意味がある
  • 選択

たまたま、そういう映画を選んでいるのかもしれない。