はらむ

恋愛だとしたら、成就させる気のない相手を見つけた。
というか、私が「こうあろう」という人をまた見つけた。
要は、人を好きになった。

このたびは、はっきりと
私はこれが好きだ
というところを見つけた。
「わたしはこうあろう」と思っていたものを、
忙しさに巻き込まれることで、すっかり忘却していたのだが
その人の中に見つけたのだった。
なので、他人なのだが、その人の中に
「わたしをみつけた」のだ。
神道の祭壇にある鏡を見たとき、
映る自分を見たようなものだろう。

「ああそうだ、こう生きればいいんだ」
ということを思い出した。
救われた思いだった。
生きるのがいやになるほど、つらかったので。

友人に会って話をしたときに
「菩薩だね、その人は」
ということを言われた。
「菩薩に逢うために地獄に、蓮の花に逢うために沼に降りることもある」
という話をした。


フォーカシングをした。
私は相手に首を絞められた。
その人は、紫色の生地に銀の染料で蝶や花の絵が書いてある浴衣か着流しのようなものを羽織っていて、帯はない。
豆腐をつぶすように私の首はつぶれて、頭部と体が分離した。
ゼリーのように体は地面に落ちたが、手はその人の体を登る。
私の首は銀板に載せられ、その人と話をする。
その人は泣きながら、私に「なぜなんだ」と問う。
何を問うのか、よくわからない。
その人は「なぜ、ここにいるんだ」とも言う。
滂沱の涙を見つめる。
私の体はその人を登り、呑み込む。
その人を呑み込んだ体は、私の頭部と繋がり、元の5倍ほどに巨大化し、黒っぽい半透明のゼリーのようになっている。
その人は私の体の中で、左親指の先をわずかに噛む。
私は、その人を孕んでいる。
大きくなり、黒く澄んだ手で、腹を透けて見えるその人をいつくしむように、私は腹をなでている。


その人のおかげで、古い自分を殺せたのかもしれない。
私は、その人を自分として吸収したいのだろうか。
でも、吸いつくして消えてなくなれ、というよりも
その人が私の中で、「私として在るその人」として生きてほしいと望んでいるような気がした。