自分へ還る道

私とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

書こうとすると、どんどん逃げていくんだよー。
色々起こっているということだけはわかっているんです。


一週間ぐらい前だったか、
「私とは何なのか」
と思い始め、いや、「私」など存在しない、
本に答えは書いていない、
などと思いつつも、
私の問いそのままに
「私とは何か」を示す池田晶子の本を借りたのでした。


何よりも、池田氏の本を以前読んだときに感じた
「なにか、ある」という確信のようなもの
これを忘れてことがなかったから。
あの本を読んでしばらくは、まあ、
人様にその本で得た気づきを
言いふらしまくっていたわけですけれども。
その本はこれ↓

死と生きる―獄中哲学対話

死と生きる―獄中哲学対話


池田氏の本を読んで、
自分と垂直につながることが最も私には基盤となるもので
他のことは瑣末なことである、
ということを思い出し、
一頻り笑った先週。


結局、自分へ帰る道だ、という。
そして、世界は自分で、決めているのだと
その意味と価値のすべては
自分によるのだと、
気づいたのでした。
結局ぐるっと一周して、自分に戻ってきただけなのだろうが。


色々なことがすべて瑣末なことだと気づくと、
どんなに肩の荷が下りることか。
そして、きっとどこでも私は生きて行ける、
自分の手さえ離さなければ、
と思った、先週末。


今の私は、実家。
ここが最も私にはよいトレーニング場なのだが、
まあ、
私、変わっちゃったw
と、思って過ごしています。
変わっちゃった、っていうか、戻っちゃった。
これで、もう付き合えなくなっちゃう人も、きっといるなー。




古いパターンを破壊して、
というサインがずーっとチラチラしていたのだが
このことだったんだなー。