ことば、混ぜご飯

 不器用に感じさせるほどの
 「ことば」の届け方のていねいさです。
 ひとつの「ことば」を発したら、
 それが相手に届いたことを確かめるようにしながら、
 おもむろに次の「ことば」を送り出す。
 言いたいことを言うのための「ことば」ではなく、
 やりとりする、届け合うための「ことば」なのです。
 なにを言っているのか、だけでない
 実りをもとめる「ことば」なんですよね。
 これが、福山龍馬が表現している「あかるい説得力」。
 いま注目されている池上彰さんも、
 届いたことを確かめながらしゃべっています。
 なんか、いま求められているものって、これなのかもね?
ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次 今日のダーリン2010/11/14


うーん、好きなこと言ってしまうよね。
相手によくしてあげよう、相手が良くなるようにという思いがあったとして、
「私を安心させろ」とか
「私に恥をかかせるな」とか
「私を気持ちよくさせろ」とか
そういう細かいノイズをいっぱい混ぜ込んで相手に話している
ということはよくあることだ。
自分が何を話しているのか、結構無自覚。
気をつけたい。
本当に何がしたくて相手と今一緒にいるのか。
何のために、時間を共有しているのか。
簡単に忘れるからなー。
説教と説明は違うって知っているのだが、わすれるなあ。
今、実家にいて親と色々向き合っているんですが
実家っていうのは、勉強になりますわ。


緊張とか、悲しさとか、苦しさとか
そういうことが怒りの表現の一つであるということを
下記の本を読んで気づいたのだが、
これって、なかなか気付かないよなー。
話しながらどんどん緊張してしまう相手とか
たまにいますけれども、
それって私、怒ってるんだなーと。
何に対して怒っているか分かれば、
肩に落ちた落ち葉を払うように落とせるのだが。
売れている本には、やっぱり何かあるのだろうと最近思うようになった。

考えない練習

考えない練習



あと、なんだか内側の感じで「読むと役に立つ」というので
買って読んでみたドラッカー本。

売れてるだけあるなあと、読んで思った。
人生に戦略を持ち込むのは、卑怯だ
とずっと思っていたのですが、
それって
要領が悪いだけ
ということに気がついたというか。
まだどこか、「うまくやる」ことに卑怯さを感じるんだけれども。
まあ、これって今までそういった教育を受けて自分を育ててきた
というだけのことなんだろうなあ、と思うのです。
自分は変えることができるからなあ。
この本で「真摯さ」という話がでてきているのだが
これが肝なのではないかと思う。
真摯さのない戦略は、いかんよ
というところにちゃんと耳を傾けずに
戦略はいかんよ
というように聞いていたのだろう。
まず、自分自身が自分のマネージャーであるのだから、
自分自身に対して真摯であることを第一としようと。
今はまだ、なんかよくわからんかんじだけど。
情報が入ってきたばっかりって、もやもやするんだ。
これからどちらかに向かって変わっていくのだろう。
その自分を、楽しみにしようではないですか。


ドラッカーのエッセンシャル版も読んでみようかな。