わかってほしかった

先日の、先祖の呪いの解除、などを追いつつ。
あの後、また先祖の墓にフォーカシングで行ったりしたのだが、
彼らはクラゲのような半透明な姿になっており
近づいて行こうとすると、笑顔で
「もういいよ、来なくていいよ」というような身振りで
私に手を振るのだった。
私の彼らに対するプロセスは終わったのだろうか。
手土産の酒を手酌で飲む(フォーカシングで/笑)。
まあ、実際に行かないと草ぼうぼうのままだろうけど、
もういいのかな・・・。
行っても、きっと何もないのだろう。
私たちの、連綿と受け継いできた呪いの幾つかは終わったんだろう。


最近また、ACの本を読んだ。

不幸にする親―人生を奪われる子ども

不幸にする親―人生を奪われる子ども

これは、「毒になる親」と非常に近い本。
この「不幸にする親」の方が、内面の苦しみを中心に書いてある。
読みながら、友人たちを思う。
何人かの友人は、親との関係に非常に苦しんだ、という点で強く結び付いている。
親との関係に問題があった、という話題は
自らにその問題を隠している人は
「絶対にそんなことはない。最終的には親が正しい」という。
そういう風に言われると、自分の苦しみにやっと向き合い、
悲しみ始めた人にとっては苦しみが増すことになる。
そして、「親を敬え」ということが根底にある社会では
自分の苦しみを口に出すことで、また自ら苦しむことになる
そういうことが非常に多い。
そのため、なかなかみんな、口に出して苦しみを語ることができない。
まだ、物理的な虐待にあった人は、親が悪いと言えるが
精神的な虐待にあっていた人というのは、「お前の勘違いだ」と言われるのを非常に恐れている。
あの苦しみが、勘違いだというのか?
今の私を苦しめる、この関係が勘違いだと?
理解されないというのは大変苦しい。
そのために逆に、共有できた場合は、強いコードができる。
一種の戦友みたいなものなのかもしれない。
よく生き延びた、そういう思いがある。



この本を読んで、今まで自分に隠していた呪いの一つを見つけた。
「挫折して、成功せずに、自分に追従しろ」というもの。
そのため、動けないでいたことがあったと気がついた。