いろいろあった一年ですが

あっちゅーま!!


よく泣いたなー。
と思います。
自分として一番よかったことは、
自分の中に、見ようによってはというか社会的にはネガティブな面があり、
まあー、しょうがないじゃん、みんな何かしら持ってるって!出来るだけよくした思いはあるのだし
という感じに思えるようになったことだろうか。
ネガティブな面を見ると、なんかいいもんもらえるんですよ
ということもわかった。 by フォーカシング
そんで、
起こったことの良し悪しは、そのときにはわからない。
そして良し悪しは、自分で決められる、とわかった。
わかったことは沢山あるなー。



今年、最後の方でそうではないかと思ったことは、
マイケル・ジャクソンのThis is itから。

まー、色々気の毒・・・と思って目から水でしたが、
おそろしい、と思ったのは(畏ろしいと書くべきか)
「彼の願いは、一番効果的な方法で、もっとも理想的な形でかなえられたのでは」と感じたこと。
もし、あのタイミングで亡くならなかったら、
私のようにあまり関心のない人は彼の望みを知る由もなく
究極的な完璧主義のマイケル・ジャクソンが、まさかリハーサル映像を映画化するわけもなく、
そのリハーサルがほぼ完成に近いところまで進んでいなかったら、映画化できる状態に達してもいなかったわけで感動は半減、もしくはせいぜいテレビの特番で終わっていて、
高いチケット代を払うファンのみが彼のコンサートを鑑賞し、
コンサートの裏に隠された努力や、
コンサートを作り上げた人々にあれだけ愛された人物像としての彼を知ることもなく、
世界平和、個人の心の平和を多く歌った歌も、きっと今より視聴する人も少なく、
さっき紅白で見たけど、
日本でも最も観る人の多い音楽番組でアメリカ人の発するHeal the worldというメッセージが流れることもなかっただろう。
あの映画が公開されなかったら、「世界一成功した世界一の変態」だと思っていた
私のような人はきっと思いを変えないまま、そっと忘れていくことも多かったのではないだろうかね。
そしてうっかり私のようにCD買ってしまう人も随分少なかっただろうな。


人の、心からの願いは一番いい形で叶えられてしまうのではないだろうか。
そして、願いはかなえられるけど、プロセスは選べない。
私たちはゲームを始めたプレーヤーたちで、
自らログアウトするか、ゲームの流れに沿ってそのキャラクターが終わるまで、ゲームを続けることになる。
そして、そこには何らかのシナリオもあるような気がする。
でも、ゲームを始めたのは、明らかに自分なのだということは変わらないのではないか。
そして、どんなゲームをしようとも、願いは叶えられるようになっている。
叶えられない願いは、まだ時期ではないか、心のそこからは望んでいないことだと感じる。




あと、This is itを観て思ったこともうひとつ。
私は死者に育てられている、と思った。
今年は、友人、叔父を送った。
従兄を送ったときも、大きなものを貰った。
この世界で生きることを終えた人たちに、多くのものを貰った、
申し訳ないほどに、と思い涙が出た。
そして、それを抱いて生きていくことが、人としてあることなのではと思った。


私の願いも叶えられてゆく。
私の意識するしないが関係ないところでも。
それならば、平和でありたいと願ってゆきたい。
どんなところにも、平和がありますように。
そして、すべての人が、自分にある力を知り、生命のそこから、その力を軽々と使い、快く生きてゆくことが出来ますように。


よいお年をお迎えください。
私とかかわり、育んでくれたすべての存在に感謝します。