死んでも、死なない

先日チャットをしていての発見。
ミクシィのアプリケーションにセルフィチャンネルっていうのがありまして。
自分のアバターでチャットをする、という。
そこであった、しょうもない出来事が発端の気づき。


そのアバターは会話用のアバターなので、死にもしなけりゃ怪我もしない。
そこで、妙な二人組が現れて、持っている剣でやたらに切られる動作をされたのでした。
相手には、私が誰かということは全く分かっていなかったであろうし、私も相手の二人組が誰だか全く分からない状態。
はじめはびっくりして、恐怖で歩き回って逃げようとしていたが、追いかけてきて同じ動作をされるという。
しかし、実際には怪我も何もしないわけで。
でも怖いという感じだけは本当だし。
そして、この二人組はいったい何をしたいの?
という思いにたどりつき、
パソコンの前で腕を組んでしばし思索。
その状態になると、私のアバターは当然、動かなくなるわけで。
そうしたら、その二人組の片方が「なんか反応して/汗」と言い出しましてな。
標的が、近くにいた違う人に変わった。
その人は、追いかけまわされて「こわいよー」って言い続けた挙句にその場所からログアウトしてしまったのだが。
そして、反応しないわたしが残り、わけわからん二人組もログアウトしていったのでした。


その一連のことを見て、「あれ?」と何か引っかかるフェルトセンス。
痛みは、こちらの私にはないけれど、感情としての恐怖や痛みは、アバターと自分を同化している以上は実際と同じように味わうことになるなぁ、と。
そして、そのアバターアバターなのだという完全な自覚があったら、恐怖はほぼ、ない。
そして、そのアバターがいる世界よりももっと広い世界があって、全く違う世界に生きている、不自由だったことは不自由ですらなくて、ただのチャンネルの一つだったことを知る。
これって、今の人生にも当てはまることなのでは?
もし、同じシステムが適用されているとしたら、死というのはログアウトするということなのでは?
そして、その場所(今回はアバターがいた場所)にいて、気づくことがなければ、死んでも気づかない。
他の場所に再ログインするということは、生まれ変わるとかそういうことになるのでは?
これ、同じことがもし、この生きている現実(と思っている世界)で起こっているのだとしたら、「今」悟らなくては、「今」自分にあるもの(精神の自由は自分次第であるとか)、死んだところで気づきはしないのでは。
そして、死んでも死んでないというか。
何層にも掛けて、多重に生きているのでは。
なんかうまく表現できているのか?まあいいや。
もしかしたら、今の現実と思っている私と、そこのそばにいる人のプレイヤーが同じ人、ということもありうるのではないか。
ていうか、究極的にはプレイヤーは(というとちょっと語弊があるけど)一人だと思っているのだが、ワンネスとかそういう思想も結局同じことなんじゃなかろうか。
「今」がある種の、何かのためにもっともよい「場所」で、ここにしかない何かのために、自分はここにいるのでは、という気がする。
そして、どこにいても、本当は自由なのだ。
自由というのは、開かれているということで、もっとも強い縛りは、結局自分自身だということだ。
自分というアバターが終わりを迎えれば、自分という幻想が消えるのだから。
何を自分というかは色々あるだろうけど。


死を迎えて、上記のようなシステムの上で生きていたのだとしたら、どんな生き方をしようと、死に方をしようと、全く「私」は傷つくことはないし、価値が上がることも下がることもない。
ゲームで負けたからって、その人の何かが変わらないのと同じように。
ただ、心が感じた経験だけが最後に残るのでは。
そのことのためだけに、生きているのだとしたら?
そんなことを考えた。


そういや、アバターっていう映画が公開になるらしいけど、どういう内容なんだろ。
アバターっていう言葉の語源も、「(神仏などの)化身」って意味らしいから、もし上記のシステムで生きているのだとしたら、本当にそのまま、我々は何かの化身そのものだろう。
今の人間というものを超えるものを神というなら、きっとそれは神で、それは我々そのものだ。