自由であると気付くこと

バスの中でぼんやりしていたら、
なんかピンク色でひらひらしたものが頭に浮かぶ。
なんじゃろー、ということでフォーカシングしてみた。


そうしたら、下の絵のような人が。

なんか絵が小さくならないなぁ。
かわいい声で、
「ねたみは、自分がそれを得る必要があるのに、得るだけの能力がない、
あの人が持っている能力は本当は自分が持つはずのものだったのに、という思い込みよ」
といわれる。
楽しそうにしている。
空中に浮いて、濃いピンクの薄い服がひらひら、ひらひらしている。
「本当に必要なものを、失うことなどあり得ない」という。
「また、ないものばかりを、かぞえて」と笑われる。
「あなたにないものは、あなたには必要ではないもの、余剰なものがないということは重荷がないということ」
「蓄えるという言葉に惑わされて、足枷をつけることを覚えたのね」
私は、そのピンクのひらひらの人を見ている。
指が三本だなぁ。
宇宙人ぽいなぁ。
「わたしにないものは、私には必要のないもの」
白い床に座っている私の中から、細い糸でできたモヤモヤモヤ〜とした塊がぽんと出てきた。
ああ、この人の言うことが信頼できないのだな。
言葉はわかるけど、腑に落ちない。
「良いタイミングは外からくるもの」
ピンク色の人はクルクル回って遊んでいる。
すべてが起こるように起こっている。
「コントロールという檻を飛び越えて。自由になってしまうのが怖いのね、自分の知らない世界だとおもっている」
「本当の自由を、すべての人が本当に知らないとでも思っているの?」
「物語が終わるのが怖いなんて、ばからしい!物語を終えるために物語を生きているのを忘れて」
「自由にあれ!と思えば自由」
私から出てきたモヤモヤは、キラキラした音を立てて上に上昇しながら、解体している。
「おもいだしなさい、なぜ怖がりたいのか」


うーん。怖がりたいと言えば、レインだなぁ。
まあ、怖がったりするっていうのは、結局うまくいっているっていうことなのかしら。
物事がうまくいかない!って思うのは、
自分に対する信頼の不足っていうのがあるんだろう。
結局、よく巡礼こそが精緻だっていう言い方があるけれど
プロセスこそが人生だ、っていうところを忘れると苦しくなるのだな。
あのピンクのひらひらさんが言うように、
自分にいらないものを渡されたりすると、ホント、ただの重荷なのに
人生のことになるとまるで、他人の人生にある何かが自分にもあるべきことと勘違いして
妄想の不足感にぐるぐるしたりして、さらに自分で重荷を作って持ち切れない!みたいな/笑。
結局、今の自分にないことは、本当に今の自分にはいらないのかも。
そうして、身軽でいるというのは、自由ってことなのかもしれない。
信頼と自由は一緒の場所にいるのかも。