他人を見ない生き方
なんだかなぁ。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1987/09/10
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ノルウェイの森・・・エロ小説だ、と貸してくれた人は言っていたのだが。
まあ、なんだろ。
ワタナベ君(主人公)と付き合いたいとは思わない。
主人公は、全然相手の心の動きなんて見てねぇな、と思った。
やな話だ。
一方で、この前友人がシングルアゲインして、「さびしいさびしい」と言っていたので、
「寂しさは彼女の不在じゃなくて、あなたの中にあるんじゃい!」と袈裟切りにしたのだが
その、「さびしいさびしい」の形が何か見えたような気がするな。
男の子のほうが、性欲と感情の通路が強く結び付いているのではなかろうか。
だから、性欲が満たされれば寂しくなくなると思ってるんじゃなかろうか。
私の場合は、感情とは食欲と体調に強く結び付いているけれども。
全ての相手が他人事でしかないのなら、
いつも自分は被害者でいられる。
傷ついた加害者であること、それを認めることは、とても痛みを伴う。
昨日、叔父の35日法要だったのだが、その時に父が母に対して言ってはいけないことを、親類連中に向って言いふらしたらしい。
とても傷ついた、と母は言っていた。
最近、同じような経験を、私は友人との間でしていた。
全ての人が被害者であるなどということがあるだろうか。
生まれてから何一つ、罪を犯したことのない人などいないという話もあるじゃないですか。
「お前に傷つけられた」とたとえば言ったとして、
言われた人がどれだけ傷つくかということを、言う人は分かってんのかっつう話ですよ。
言う方は、言われた相手が、何故それを言われるまで傷ついていないと思っているのか。
物事は表裏一体で、
被害者がいたとしても、その被害者を被害者にした相手も、
被害者であったりすることは多々あるわけで。
お互いに加害者である可能性の方が大きいのではないのだろうか。
ささやかな人間関係の中では。
休暇*1を観たときに、死刑って、「公的な人間に殺人させる刑」でもあるのだ、と思った。
死を以て償うことしかできない罪というのがあるのかもしれないが、
そこにいるからという理由で、何の罪もない人に殺人させているんだ、それが仕事だからと言って、もしくは知らなかったとかいうことにして、一般大衆の私自身が、
と思うと、死刑に賛成とは言えないわ、と思う。
第一、刑罰って何のためにあるんだ。
誰のためにあるんだ?
日本は復讐のための刑罰じゃなかったはずだけど。
そんなこと考えたり。
まだ考え中。
全然整理されとらん。
*1: