腕の治療

一週間ほど、友人や親類のお悔やみや結婚式やらで実家に帰っておりますた。
色々あったけど、色々の最中は一杯一杯で、散文調。
やっと一息ついた気分でござるよ。
で、フォーカシングの話。


左肩がコリコリするので、どうしたね、と訊いてみる。
シザーハンズみたいな羽根になっている。
「私が自由に羽ばたくと、周りの人が傷ついてゆく」という。
あらあら。
鳥の羽のようになってゆくかしら、と思っているうちに
なんだかその羽は、外してしまいたい感じがしたので背中の方を見る。
筒状のところにねじが切ってあり、それをぐるぐる二、三回回すと、
そのシザーハンズみたいな羽根が外れて、
筒状の根元から、ジャーッと錆びと油が混ざったものが出てきた。
肩がふっと軽くなった。
油の入っていた金属のリュックみたいなのを外す。
すると、今度は右腕のコリが気になってきた。
右腕をみると、機械の手になっている。
その腕を、腕の内側から、缶の箱を開けるようにパカッと開くと、
その機械の腕がゴトンと地面に落ち、枯れ枝みたいな手が出てきた。
ミイラみたいになっていて、引っ張るとすぐに抜けた。
何気なく食べようとすると「塩分が多いからやめて」という声がした。
その右腕に、火を付けるのをイメージすると、燃えて消えた。
まだ右肩が凝っている。
長い中国針みたいなのが、肩の周りにたくさん刺さって、その針の先端が点滅している。
電気信号みたいな光が消えたりついたりしている。
肩のところは、サイボーグみたいになっており、
筋肉組織と機械のところが接続されている。
針は、それを分離するために電気治療をしているようだった。
機械のところを引っこ抜こうとすると、ゆっくり体に刺さっている棒状のところが抜けてくる。
でもなかなか抜けず、今はまだ時期じゃないのかも、と感じ放って置くことにした。




最近の体の話でいえば、
後は耳掻きしすぎて聞こえがおかしくなったことか。
耳から血を出したりとか。
耳が痛いというところまではいかなかったけど。
耳掻きしすぎて耳の壁から浸出液が出て、それが鼓膜にひっついて固まっていたらしい。
それを先ず柔らかくするために、摘出(というほど大事じゃないが)前夜に耳にグリセリンを穴いっぱいになるまで入れ、10分我慢し、硬い奴を柔らかくする。
耳にグリセリンを入れているとき、物凄い心細くなった。
耳に水が入っただけで、プールに沈んでいるような感覚になる。
私は何度か溺れたことがあるので、それを思い出したのかも。
色々言っても、耳に水が1〜2ml入っただけでこのざまだよ、人間のか弱さはきっと先天的なもので、先天的なものは憎むためにあるわけじゃないだろうな。この弱さは私の部分だろう、と思って、近くにあった手触りの良い人相の悪いぬいぐるみをなでる。
なでるというのは、外のものをなでているけど、自分自身の気持ちをなでているのかもしれない。
溺れるかも、という不安は、死ぬかも、という不安だろうけど、そこのラインを断ち切るためにこういったことを体験してるんじゃなかろうか。
どうなるか分からないことに不安を持ちこまない練習というか。
そうこうしていると、グリセリンがだんだん体温で生暖かくなってくる。
亡くなった友人が冗談で生前「草葉のかげからなまあたたかくみまもっているよ」というような文面を送ってよこしたことを思い出す。
死んだらこんなもやもや思いを巡らすこともないんだなぁ。
10分経って、頭を傾けると耳からゴボゴボとグリセリンが出ていく。
でも、出てみると大した量じゃない。
固まっていたやつがふやけたのか、前より聞こえが悪い。
これで、本当に聞こえなかったらどれだけストレスか、と思った。
ストレスというのは「〜であるはずだ」から発生するのは知っているけども。
午前中、耳鼻科で耳の中の残りカスとかを吸い出して貰って、かなりすっきりした。
まだ浸出液がでているのか、微妙に耳がもわーっとするけども。
あと、耳掻きは三か月から6カ月に一回耳鼻科で、
もしくは、一生しなくていいそうな。
耳があんまりつるつるにきれいだと、何かの時に直接障害が及ぶのでよくないらしい。
耳掻きという楽しみがなくなり、ちょっと残念。


あと、左鼻の中にできものがいくつかできていた。
うえー、こわー、とぼんやり思っていたけども(触ると妙に痛い)
友人のお悔やみから帰ってきたら極端に小さくなっており、
福岡に帰ってきたころにはなくなっていた。
それにしても、左にばかり色々できるなぁ。
あ、手が荒れるのはいつも右だけど。
サインなんだろうなー、どれも。