痛み

本の感想だけ書くつもりだったけど、ちょっと今日はだめだ。
以下、別の話。
昨日、友人が亡くなった連絡を受けた。
昨日から、今日までの記録をしておく。
 
昨日の時点では、よく分からなかった。
二人から連絡を受けて、連絡をくれた二人を入れて、三人とそれぞれ電話で話した。
友人、Kが亡くなったのは7月3日のことだったらしい。
もう葬儀もすべて済んで、骨しかないらしい。
本当なのか?
昨日話した友人のうち連絡をくれた二人も、昨日事実を知ったと言っていた。
全く実感がわかず、よく分からない、冗談じゃないのか、という気持ちがどうしてもある。
エイプリルフールには時期がおかしい。
あまりのことに、半笑いになる。
友人の一人が葬儀に出られたらしい。
彼女の、電話越しの涙声に、Kは、本当に死んだのか、とぼんやり思った。
激しい悲しみなどはまだ来ない。
ただ、心のどこかが痛い。
一昨年に従兄を亡くした時のことを思い出した。
あの経験が、私に死の悲しみをぼんやりとしたものにさせているのか。
人の死にも、慣れるものなのかもしれない、などと思った。
 
うまく寝つけないまま、3時頃になった。
福岡は博多祇園山笠の追い山が始まるまで、あと一時間という時間だ。
いっそ出かけて、まだ開いている飲み屋で一杯やって祭りに行こうか。
そうしたら、この永久に開かない扉の前に立っているような重い気持ちも変わるかもしれない。
ぼうっとした状態で座っていたら、右腕がにわかに痒くなってきた。
虫さされか?
少し掻いているうちに、あっという間に右腕全体に激しい蕁麻疹が広がった。
左腕は、遅れて少しずつ蕁麻疹が広がって行った。
「私は、悲しいのだ」と気がつく。
これほど激しい蕁麻疹は久し振り。
すべてがうまくいく「やすらぎ」の言葉」の蕁麻疹の項目を見ると、「小さな恐怖」とあった。
蕁麻疹の応急処置はブドウ糖の注射と知っていたので、今は放っておいて、もう、とにかく眠ろうということにした。
 
朝起きると、蕁麻疹は消えていた。
代わりのように、左肘の内側にひどいアトピーの症状が出ている。
小学生ぐらいの時、泣きながらかきむしっていたのを思い出す。
焼きそばを作ろう、と思いたち、野菜を切る。
人参を千切りにしていたら、泣けてきた。
「なんなんだよ」と思う。
何について泣いているんだか分からない。泣きたくない、という思いも出る。
焼きそばを食べて、弁当箱に詰める。
タッパーウェアで買った新しい弁当箱をおろしたのが、少し嬉しい。
母に電話する。
母と話しながら、亡くした従兄とKのことを考えている。
以前、Kが「預かってほしい」と言って送ってきた本があり、
封は開けたが、封筒に入ったままにしていた。
宛名の字を見て、「きたない字だ」と思う。
お世辞なんて思いつかない。
A4が入る封書が半分に折られており、広げるとKからの短い文章が書いてあった。
 
今日は休みにするかという前に、まず、落ち着きたかったので行きつけの喫茶店へ行った。
そこで、スピードライティングをすることにした。
やっているうちに、「悲しんでしまったら、Kが本当に死んでしまう、死んでしまったことになる」と思っていたことに気がついた。
怖ろしい、と思っていたのはこのことのようだった。
亡くなったなんて思いたくなかった。
そして、この先する予定だったKとの間のやり残した小さな約束が、たくさんある、と分かった。そして、その小さな約束が、もう果たせないことも、もう、私しか覚えていないことも。
涙が出そうだった。
一方でどこか、「ああ、これでやっと泣ける」と思った。
スピードライティングは、万年筆のインクが切れてしまい、途中でやめた。
 
大学に行くことにして、バスに乗った。
40分くらいのバスの中で、5回ぐらい泣いた。
Kは此処よりももっといいところを見つけて出かけて、帰ることを忘れてしまっただけだったら、どんなにいいだろう。
私は、あんたに多くを望んだりしないよ。
でも、生きているだけでいいなんて、生きていたらきっと思わない。
元気で幸せでいてくれと思うだろう。
もし、はないけど
もし、と思う。
頭が重く、痛む。