ないものは見えない

最近胃が痛いです。
胃が痛い。
精神的な意味ではなくて、物理的に痛いのです。
レイキしてしまうくらい痛いのです。
手を外すと、また痛くなるのです。
でもコーヒーをやめる気はない。
たぶん、私がコーヒーを物凄く飲むのはグラウンディングのためでしょう、アチラ的に理由をつけるとすると。
ふわふわしがちな思考を、地上に結びつけているアンカーのようなものとして機能していると思われます(コーヒー飲みたいだけ)。
 
週末、やっとスター・ウォーズシリーズを全部見終わった。
そのときに、4,5,6シリーズの主役、ルーク・スカイウォーカーが念力で沼に落ちた宇宙艇を持ち上げようとして「無理だよ、出来ない、できない」と言って、できない、というやつのあと、師匠のヨーダが沼から念力で引き揚げる。
ルーク「信じられない!」
ヨーダ「だから、できないんじゃ」
みたいなやり取りをするのだが。
そこで、がーん、ショックを受けました。
あー、今までできなかったことって、やっぱり、出来ないと思ってた、どこかで。
やっぱり、自分の中にないものは、存在させることができないのか・・・と反省してしまった。
 
土曜日に、行きつけの喫茶店で月一の談話会があって行った。
そのとき、川上信也という写真家の福岡の写真集を見たのですが、物凄い美しい風景、しかしその場所は自分の見慣れた場所があり。
「私の中には、この景色はなかった」
とおもって、猛烈に反省した。
写真であっても、やはり、自分の中にないものは、取ることができないだろうと思うのですよ。
 
自分の中にないものは見えないし、実現することもできない、と思い、何やらがっくりきたのでした。
 
同じ土曜日に、ヴァイオリン教室にも行ったのですが、そこで色々教えてもらい、そりゃ、やればできないこともないが、私のなかにそれまではその奏法というのはやっぱりなくて、だからできなかったのだなぁ、と。
あと、ついでですが、ヴァイオリンの弾き方にまで、自分の自信のなさが表れていて、がっくりしました・・・。
 
なんだなぁ。
でも、自信というのはやってみないとつかないものだろうからなぁ。
でも、今までの私の物の見方は相当歪んでいたからなぁ。自信を育てる材料になりえるものを、卑屈になるための材料にしてしまってきたところ、物凄くあるよなぁ。
一つずつ掘り返して、磨きなおすことになるのだろうか。
手間かかるわぁ/笑。
 

最近出会った最も美しいものの一つ、黒唐津の器でお口直しをどうぞ/笑。
しかしどんなに頑張っても、そのものの美しさは全然撮れないのよねぇ・・・。