よわいもの

ネガティブを直してるヒマがあったら、
取るに足りないものを認めてあげて、
いまあるエネルギーをプラスに向けたほうが、
実際に、しあわせになるんですよ。
ほぼ日刊イトイ新聞 -十文字美信的世界。

うんうん、そうそう。
最近そう思う。
 
この言葉はまあいいのだが、
このリンク先の記事で話をしている十文字美信ていう人、
なにこれ!
と思いました。
うーん、人生がアート。
 
 
今日、友人とお昼を食べながら話していたのだが、
この友人と、ある人に会った経験によって、訓練というか学習をしたのだが
その関連から、言語化できたものがあった。
 
あの、善きもので満たされた本来の現実(宇宙とか神とかいうあれ)
を、知っていながらそのものとして生きられないもどかしさと
お化け屋敷について思った。
 
私は最近完全に現実(教授とやれやれとか)に物凄く翻弄されていて
まあ、ここで書いているように物凄い葛藤したり、
知っていながらその善きものから離れていたのです。
「あれがあると知っているのに、なぜこんなに離れたところにおらないかんの!」
といって、余計また離れるという循環/笑。
 
ぐるぐるしながら気がついたのだが。
そして、上記の「ある人」は12月にしたバイトの相手なのだが。
まあ、それはいいとして。
いわゆる覚者(悟った人)というのは、お化け屋敷に入って
「ここは、こういう遊びの空間だからねぇ」
といって、怖がることの全くない人。
全くそういったところから離れている人というのは、
自分からお化け屋敷に入ったことさえ忘れて、泣き叫んだり大変なことになっている人。
今の私の状態は、お化け屋敷がアトラクションなのは頭では分かっているものの、
怖くて大変なことになって、結局泣いたり驚いたりしている人。
この、お化け屋敷が、人生かなと。
みんな入ったら出なきゃいけなくて。
お化け屋敷に入ったのだから、これを楽しむという点では、
お化け屋敷に入ったことすら忘れて、没頭しているというのは正しい遊び方なのかもしれない。
 
でも、お化け屋敷がアトラクションだということすら忘れて大変なことになっていると
これが永遠に続くように思えて、もう大変、みたいになるから
やっぱり、覚者もいるのかな、なんて思ったり。
そう思うと、今の自分は結構贅沢な体験をしているのかしら。
と思いながら、まだびびりすぎて、インドネシア対策何もしていません・・・。
あ、パスポートの期限、チェックしなきゃ。
 

楽しむコツは、一歩ずつ進んでいることに、気が付いていることではないかしら。
わたしたちは、どうやっても、一歩ずつ進む乗り物に乗っていて、時が来れば、出口に来ることになる。