人生よどこへ行く

うおおお、忘れてしまいそうなのでさっさと書いておこう。
もう実感はつかみ損ねてどこかへ淡く消え去りそう。


なんだか、色々思ったりして。
何度も同じことを違う表現で書いているような気もしているけれど。
この前風呂に入っている時、この前人の送別会で先輩と話している時
「わたしの望みはひとつもそのままにかなったことがない」
というようなことを思った。
そりゃ、「あ、今からコーヒー飲もうかな」とか
そういう人生に関わらない瑣末なことではなく。
たった一つだけ、想いのままに推し進めて軌道に乗ったことがあるが
乗った途端に墜落した。
つまり、行きついたことがない。
けれども、
この望みってどうしてこのように望むようになったのか
私はなぜ、このようなことで悩んだりするのか、
何に喜び何に悲しむのか
私の私と言えるところは一体何なのか
私のものは一体何なのか
と思ったら
私と言える私などいないのではないか
と感じたのだった。


感情だけが自分のもののように思えたりもしたのだけれど
この感情も、何かの反応でしかなくて
この反応は、過去の経験からその反応性や、強度などが作られているわけで
結局、私と思う私などないではないかと。


人生が私の思うままになったりするのだろうか。
第一、私の思うこの思いは、私と言えるのだろうか。
人生は勝手に流れてゆく大河のように感じ
それは私の意のままになどならない
ただ、その流れの思うままになってゆく
ということを感じたのだった。
この感じさえも
この思考の回り方さえも
何一つ今までの私が思ってきた「私」などなかった。
その「私」はこれからも存在しないものなのだ。
私などない。
私などなかったし
私などないのだ。
今までも、これからもない。