フジファブリックと (4)

初めの一歩目

どれだけフジファブリックかっちゅうねん。
何でフジファブリックにはまったのか。
変だから。


まあ、褒め言葉として「変態」と言われていたボーカル志村正彦含む
フジファブリックの面々ですが。
まあ、変なんですよ。
PV見たらわかる。



って、ああーーー、こんな段階はもう随分前に通過してしまったのですけど!
初めの感想は、
「うははははは!!!なんじゃこりゃーーーwww」
という・・・。
歌詞が、なんか変。
イカレている。
相当イカレている。
そのことはもう何度も話したけど。
そうしたワケワカラン歌の合間に、しっとりとしたいわゆる名曲もある。
たとえば、若者のすべてとか。
両方聞くと、ギャップで余計ワケワカラン。


いやあ、志村が亡くなっているからね、怒る人がいるかもしれないけど、
志村は歌が下手なのだよ・・・。
彼のボイストレーナーさんもそう言っていたよ。
「こんな下手なまま死なれちゃ困るのよ!」って。
まあ、へたなんです。
歌のうまい我が友人の方がうまいです・・・。
何か独特の雰囲気があって、妙に中毒性のある声ではあるんですが。


フジファブリックの「なんだかわかんねー!」というのにふれて、
私は一発で好きになったのだった。
なんというか、安心したんだ。
こんなにイカレているのに、魅力を感じる
歌は下手だが、魅力を感じる
ボーカルの志村は何かおかしいんだが(YouTubeで見てください・・・ゆるく(?)変態です)
彼を大好きな人はたくさんいるのです、愛されている。
どうしようもない所が表出してしまっているのだけど、
そういうところが大好きだ、という人は多い。
私も「こいつ変態だ―!」と言って憚らないが、大好きだ。


そうか、と気がついたのは
彼の存在が、人は何かしらの商品価値によって愛されるのではない、
ということを体現しているように見えたから
だから、安心したのだ。
ものすごく安心した。
そして、混沌としたものが混沌としたまま存在する、
そうした状態が、自分にとっての自然として見えたのかもしれない。
そりゃあ、音楽を作る才能とか、楽曲がとかそういうのはあるだろうけど、
一個人として見た時に、やっぱり愛されているよなぁと。
それは、まあ友人とか知り合いとか自分を重ねてみて、
「どうしようもねー」ヤツだったり、
「どうしようもねー」ところがあったり
そういうところがむしろ愛しかったり、ということはあるなと。
そういうところを受け入れられなくたって、別に、大事だよ、という。
モノとして幾らになる、とか、有名だとか
そういうところと生きていることの大事なものとは全く別なんだなと。
どうしようもなくたっていいじゃない、
愛情とかそういうものってそれとはまったく別だと。
自分が、志村に対して「あー、大好きだ!この変態ww」と思えたことがよかったのかもな。


そして、命というものをもっと別にみた方がいい、全く次元の違うものだ、
ということも、思い出させてくれた。


まあ、志村自体は悩み易いくそまじめなところもあったようなので
自分が愛されていたのかということに無自覚だったかもしれないが。


東京、音楽、ロックンロール

東京、音楽、ロックンロール

なんかいろんな巡り合わせでうっかりこんな本まで買ってしまった。
読むと、ミュージシャンの日記を呼んでいるというより、
ミクシィで音楽やってる友人の日記を呼んでいる感じに近いかも。
まあ、どんな人も一人の人間なんだよ。
私も含めて多くの人がついつい、忘れている気がするけど・・・。
そんで、やっぱり自分で、自分がいつも幸せであるようにしてやろう、
という気がなければ、
幸せであることはやっぱりちょっと難しいのかもしれない。

  • 離しては ならぬ舵だと にぎってた 掌ひらけば 心が一つ
  • 放しては ならぬものだと 握ってた 拳ひらけば 心がひとつ

後者がいいかな。