再生と共鳴

アンテナを観た。
家族の失踪、新興宗教、家族の死、自殺、近親姦自傷、SMと凄いっす。
勿論というか、家族としては完全に機能不全に陥っていて、崩壊寸前。
この凄い状況から、人が立ち上がり再生していく話だと感じた。

土曜日に借りたとき、ちょっと病気だなー、と思っていたので
今観るのはまずいかも、と思ったのだが
日曜日の明るい陽気の中、
「今観れば怖くないかも」ということで/笑。
まー、本当に具合悪かったらおかしくなるかもしれないので観ないで下さいよ。




結果として、私はこれを観て癒されてしまった。
癒されてしまったことに軽くショックを受けたのですが/笑。
何が癒されたのかはよく分からんが、
ああ、生きていける
と思ったのだった。


自傷行為というのは、自殺未遂とは全然違うんじゃん、真逆だわ、というのが分かった。
私は自傷行為はしたことがないと思っていたが、
これを見たら小学校時代に、髪を抜いていたのと思い出した。
髪を抜くと落ち着くから、抜いていた。
ううむ。
まあ、耳の横の毛をぐいと引っ張ると言う程度で
禿が広がって行くほどではなかったんだが。
中学に入ったら自然とやらなくなったんだけど。


そうして、高校に入ると今度は緩やかな摂食障害へと移行していったわけだ。
ダイエットが流行っていたし、私はおそらく不安から肥り
自己存在の有用性は駆け引きの中にあると思い始めた。
結局、それが立ち行かなくなって本当に摂食障害になり
それが治まったところにパニック障害抑うつ状態ですよ。
まあ、抑うつはかなり前からあったんだろうな。これを思うと。


映画の中でSM行為が出てくるのだが、
これって「治療としてのSM」であって、嗜好としてのみのSMとは違うんじゃないか
などと思ったりしましたよ。
映画の中では共依存にはなっているようには見えなかったし。
抑圧を解放する手段として、SMが選択されたにすぎないというか。
抑圧していたものを吐き出すことによって、本来求めていたものや
自分自身が持っていた生きる力みたいなものを得たのではと思う。


それまでの何かが死んで、再び新しい人として自らの中から生まれる、ということを思った。
「考える人」のバックナンバーを読んでいて、茂木健一郎南直哉の対談で
「苦しくても生きていける」という話が出ていた。
アンテナの主人公は、苦しくても生きていける人に生まれ変わったんじゃないだろうか。
喜びや楽しみや安定があってほしいのはもちろんだけど
それがない、苦しいという中でも生きていける。
苦しくても生きていけるという覚悟が、
逆に心を軽くするのかもしれない。
それが人としての強さとなって
人生に光を呼び込むのかも。




それにしても、これを観ていたら、主人公の加瀬亮の演技が凄過ぎて、
物凄く圧倒されましたよ。
怪演てこういうのを言うのかしら。
なんか、しばらく自分がその人であるかのような変な感覚になって
こりゃやばい、HSP全開か、と思ったりなどとして。
まあ、なり切ることで何かを治療しようとしたのかもしれないが。
加瀬亮は、「東南角部屋二階の女」などでは、へっぽこやなぁ、と思ったが
この作品ではとんでもない俳優だと思わせられましたよ。
監督しだいで、どのようにもなる俳優なんじゃないだろうか。
西島秀俊なんかもこういったタイプだと思う。
良い脚本と監督かどうかが、すごい左右するというか。


追記 2009/10/20
いやー、アンテナの加瀬亮を見て、私は俳優にはなれないわぁ、と思った。
尋常じゃないもの・・・。
「ちょっとお芝居とか、面白そう」とかいう次元ではない。
これ見て、「おっ、自分にもやれる」と思った人は、きっと本当に俳優になれるのではと思いましたわ。
ていうか、私にはとても人に見せられないものを見せられたと感じたのでした。