病気と知らなんだ


「クワイエットルームへようこそ*1」を観て
自殺願望のことは希死念慮と言うことを知ったのだが、
厳密には、自殺願望と希死念慮は違うらしい。
そんで、希死念慮と言うのは、脳みその物質のバランスがちょっとあれな感じになってしまっている状態のためらしい。
まあ、病気ってことだ。


昨日、ものすご、気分が落ち込んで
あー、やばい
と思っていたのだ。
で、「希死念慮は病気」、と知っていたので
「あー病気か―、辛いんだよなこれ」と思って一日過ごした。
カウンセリングにでも行くかぁ、と思ったが、担当の人が都合がつかなくってさぁ。
まあ、もっと辛い時期もあったけど待っていればそのうち治まるのはなんとなく知っていたので(思いつめる時間というのは、30〜90分で通り過ぎるらしい)、
まあ頭を抱えることでたどりつく考えもあるしなぁ
ここで何を知りたくてやってんだろうか
うにゃうにゃ・・・
まあ、すべては過ぎ去るのだよ
自分の人生に巻き込まれてるなぁ
などと思いながら、どうにか3時頃に寝た。


朝起きて、昨日よりよろしくない感じになっており、
腹も壊したりして
家の中で匍匐前進していたのだが
「あ、レイキの小袋のストックがあるぞ」と気がついて
一つ使ったら、希死念慮がふあ〜と霧が引いていくような感じになった。
すげえ、今回が一番はっきり効いたぞ。
手前味噌ですが、レイキ凄いわー。
まあ、ネガティブな雲みたいなものは頭の周りにまだいたのだが。
とにかく動けるようになって、大学へ行き、今日しなければならなかった用事ができた。
行きのバスの中でも、人目も気にせずレイキで自己ヒーリングをしたり。


というわけで、まあ、大丈夫なんですけど。
希死念慮自体は、どういったものか調べて分かったことだけど、
私は小学生ぐらいの時からずーっとあるんだよなぁ。
時々、出てくる。
まあ、暫くすると通り過ぎてゆくのを知っているし、
悩み過ぎたり考え過ぎたりすることの抑制効果の一種として、
私の精神は希死念慮を使っているようだということに気が付いたし、
私自身、びびりなので、死なないと。
痛いのも苦しいのも嫌だもんなー。
高いところから、下をじーっと見たりとか、
鉄道の線路をホームから見ることもあるけど、
「これで生き残っちゃって半身不随以上の大変なことになって、しかもたぶん色々そうでなくたって処理料金や賠償でお金がかかって、さらに医療費がかさんで、老親は過労で倒れたりして、しかも親より長生きしちゃったりして、その後どうなるんじゃろうか」
とか考えると、恐ろしくてできまへん。
自殺未遂の方が怖いっす。
簡単に死なないって言うじゃないですか、人間。
ビビリでよかった。

まあ、意志による死はないわ。
てか、その意志もプログラムの反応みたいなもんだと思うし。
気がついたら、そこでもうその反応も終了だろう。
お蔭で死にたい人の気持ちはわかるけど、それは病気だって分かってちょっと安心、
そして、若い人が死ぬというのは周りの人間にとってどういうことか
というのを二回も見せられたので、
まあ、死なないわ。
苦しかったら、助けてくれって言う権利があるのだよ、人間には。
そんなことを考えた。


希死念慮がある人は、病院やカウンセリングに行きましょう。
病気だから。
インフルエンザとか、花粉症と一緒だよ。
病気は治さないとな。